人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

近況:multi threading

 気づいたら4月になっていました。春ですね。

 昨年は一年間人形を作っていたら人間性が無くなってきたので、今年は人間性を取り戻そうと思い、外出、人間との交流、労働など人間らしい活動をしていました*1。…と思っていたら人間性を失っていました。

 昨年一年間Project Beyond Eveとして人間を超越するぞ!と思い等身大のトルソーを作りカメラを繋いでヘッドマウントディスプレイを被りトルソーに憑依するシステムを作っていましたが、これを展示としてどこかに出したいと思い、デザインフェスタギャラリーの申し込みをしました。12月の予定なのでまだ先ですが、3ヶ月くらい前になったらDMの配布や告知ツイートなど進めていきますので、是非よろしくお願いします。

 

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 個展をやるにあたって、作品は一つでも成り立つということで一体で行こうと思いましたが、流石に寂しいかなというかそれに見合うだけのバックグラウンドを用意できないと思い、三体つれていくことにしました。一体でも制作過程で80pくらいの冊子になる程度の書くべきものはあったのですが、コンセプトを雄弁に語りすぎる展示はつまらないかな、と。何も説明できない展示はかなり解釈が難しくて大変ですが、それでも三体くらいはいた方が説明なしに解釈しやすいのかなと思いました。

 一体目のトルソーについては、造形は一通り終わりましたが内部の機構を再検討したり、プログラムの改修やカメラ周りのハードの再選定プロセスを挟むので9月くらいからはその辺りの詰めに時間を使わないといけないな~と思っています。リミット9月であと二体人形を作ると考えると結構時間がないですね…

 二体目、100cm程のオーソドックスな人形を作ろうとしています。中に仕込む機構はここには書きませんが、シンプルなものでコンセプトに合わせたものを作成しています。この子の造形を進めていこうと思った矢先、人形教室に通うことになりました。というのも、造形物の展示が初めてなもので展示の経験のある知り合いに話を伺っていたのですが、折角なので教室見学にと誘われて見学(といいつつ4時間がっつり作業)をさせていただいて、造形は教わった方が良いと感じたのがきっかけです。月2回通う形で一か月程経過しましたが、胴体と片脚の造形が見違えるように良くなって、あと寿命が縮まった感じがします。

 三体目、これはレリーフに近いものを作ろうとしていて、機構的に少し複雑なものを考えているのでいよいよ9月に間に合うのか疑問ですね。命を燃やそうと思います。

 そんなこんなで今年も人形を作りながら人間性を失っていく日々…と思っていたのですが、今年初めに何か面白いことでもやりましょうということで別の企画が進んでいます。無生物がいきいきしていると嬉しいので、ぬいぐるみにいきいきと働いてもらいたいと思って4月末に参加するイベントでぬいぐるみにいきいきと働いてもらいます。これの準備としてちょっとしたシステム*2を作る必要があり、2ヶ月くらいずっと3Dモデリングやソフトウェアの実装などを進めていて、人形も作るしぬいぐるみにはたらいてもらうためのシステムも作るし、それはそれとして世を忍ぶ仮の姿でのお仕事も割と責任のある役割になりすべてが大変になってきました。

 ひとまず4月末のイベントが終わったら少しゆっくりしつつ三体目の子の設計・モデリング作業に着手していく予定なので今年はもう休める気がしませんが、為すべきことを為している時の苦しさは何も為していない苦しさより幾分マシなので消去法で為すべきことを為すしかないことに気づいたので、やっていきましょう。

 それはそれとしてお洒落して茶をしばいたり寿司を求めたりする会はやっていきたいので、進捗を生む息抜きとして人々を誘っていきたいですし、お誘いがあれば可能な限り行きます。人間らしさを失うと自らが眼球とキーボードに接続された手と痛む頭のみで構成される感覚になり、打鍵を繰り返していく内に指の筋肉を利用して骨と皮をたたきつけている自覚が生じるようになります。そしてカーテンを開けることもなく日々が過ぎていき、毎日12時間ほど机にしがみついてパソコンをカタカタしたり粘土を捏ねる生活が続いていきます。キエーッッ!!

 

*1:労働は非人間的活動という説もあります

*2:xyペンプロッタの変形判として、rΘペンプロッタとでも呼びましょうか、特殊な形状なのであまり類似した製品を見つけられませんでした

学び方を学ぶ

 人形教室に通い始めました。

 3年ほど前人形を作り始めた時に最初の子を作る際に通っていた教室があったのですが、そちらとは別の教室になります。当時は丁度コロナ渦で緊急事態宣言が出たらいけないかもといった不安もある中通っており、何とか一人目の子を完成させたのですが、大学が忙しく中々行けなかったり、教室に行ける曜日もばらばらで中々コミュニケーションが取れなかったこともあり、結局行かなくなってしまいました。

 そこから2年以上空いて、その間数か月3Dモデリングやネジを触っていた時期もあったのですが、独学で人形を作っていました。人形を人とコミュニケーションをとれるようインタラクティブに動かすことについて考え自分で一から作れるようスキルセットを揃えていたのですが、やはり造形に関しては課題だと感じていました。

 そんな折に教室見学に行かせていただく機会があり、丁度手持ちの胴体があったので持っていって話を伺うことにしました。見学と言いつつ4時間くらい作業してましたが…そこでの作業の進め方が印象的で、入会することに決定しました。丁度この前初回で行ってきたのですが、学び方を学ぶことについて思うところがあり筆を走らせている次第です*1

 見学と初回の進め方ですが、僕は一通り作業用の道具を持っていて何体かすでに作っていたので、かなり造形寄りの話をしました。最初に胴体のバランスや肉の盛り方が不自然な箇所の説明をもらい、胴体にペンを入れ、削り、そして盛ります。印象的だったこととして、教室に電気コンロが無いので一度盛ると暫くヤスリを入れられない為、まず削って盛る、といった流れになります。これは中々もどかしいのではないかと感じたのですが、敢えて観察をよくするようにしました。胴体を良く眺め、なぜこの凹凸になるのか、筋肉はどうなっているかということを考えるのに長く時間を使い、そして調整をする、といった流れで数時間使うことを試してみました。そして先生の説明はかなり具体的で、ここにこの筋肉があるからこうなる、といった説明を簡単な模型や本と共に説明してくれて、それを解釈します。

 オタクは解釈が好きなので納得するまで質問して、ひとしきり理解した気になったところで筋肉の流れや骨の出っ張りを粘土に書き込んでいきます。今までこれを一人で短いスパンで行っていたのですが、あまり急いでも肉体への理解が少ないと最終的な造形のレベルの高みに登れない為、急がば回れという言葉を心で理解した気になってきました。こういうのは言われても理解できないので体験する必要があるんですね。

 タイトルに戻り、学び方を学ぶという話ですが、僕は美術解剖学の本を何冊か購入して偶に眺めていました。ただ、それを造形に活かすことができていなかった、という点で造形ができない状態からできる状態へ遷移するための方法論を理解していなかったことになります。実際、眺めていても何をどうすれば良いのか分からなかったのです。しかし、先生に教わることで気づいたのが、抽象的な話として、今何に集中すべきかを指定されることがあります。例えばまずは肋骨のバランスがおかしいのでもう少し長くしてみる、といったことに集中すると他の箇所はひとまず無視して進めることができます。そしてある程度整ったらそこに乗る胸の筋肉や脂肪を意識していきます。といった次第で進めていくと、今見るべき箇所について図表をぱらぱらと見ているとなんとなく輪郭が浮かんできます。観念的なものは言語で語られて言語で整理されるので注目すべき箇所が分かりやすくその概念整理も捗るのですが、何分物理的な肉体はとっかかりとなる注目の観点が無かったので、説明による解釈が可能な形式知に持っていく段階が難しかったので、そのとっかかりを得られたこと自体が大きいように感じます。まずとっかかりが分かれば、あとは一生それを深めていくだけですね。

 そして、もう一つ重要なの点が、テキストをどう解釈するかです。例えば数学だと最初に定義が与えられて、それに従って定理が導かれ演習問題を解くといった構成の書籍があります。僕は数学に疎いのですが、これを理解するためには定義を良くかみ砕いて一ページずつ完全に理解していく方法と、演習問題や定理を見て演繹的に最初の定義の輪郭を形作っていく方法があります。両方あると何も言っていないようですが、これのどちらかに比重を置いてみる、というのが学び方になります。美術解剖学の本だと、それを眺めた時に筋肉の名前や骨のつき方はなんとなくわかるものの、どこをどう理解するべきか掴みどころがなかった印象があります。しかし、造形においてはボリュームを形作る作業だと思っていて、以前読んだ本では葉っぱを立体で作る場合にそれを表裏の表面だけの存在ではなくあくまでボリュームの突出部として表面が存在する意識をする旨が紹介されていました。同様に、人形の造形をやる上では、それぞれ名前を覚えるのではなく、どの骨が、どの筋肉がどんなボリュームで存在するのか、ポージングでどうその形が変化するのかに注目することで理解が進むことに気づきました。

 こういった、何に注目するべきかを知ることが、学び方を学ぶことだと考えています。具体的な学びについては、本を眺めても良いですし、詳しい人と対話することで更に理解が進む感触があります。気づきとしては、結構骨や腱、筋肉は重なり合っていて干渉しあっているというのもあります。前鋸筋というわきの下ののこぎりのような筋肉があって、それが肋骨の6~10番目とクロスするように存在するのですが、これは肋骨とクロスしているだけではなく、横っ腹に存在する外腹斜筋とつながるようなイメージになります。そして、前鋸筋の上には広背筋が重なり、恐らく筋肉の発達した人であれば前鋸筋が少し広背筋を押し出すことで凸部になります。広背筋はとても広く腕の付け根付近から背中にかけて回りこむような形で筋肉がついており、背骨周辺に大きな腱が存在します。丁度背骨の上にいくつか筋肉がある事もあって、この腱の辺りが凹部となるようです。他にも、肩甲骨の肩峰と呼ばれる部分は太っている人でも出っ張りやすいことや、烏口突起と呼ばれる突起は小胸筋や烏口腕筋を支える等、それがどう機能するか理解することで、関係として物事を理解できるようになったことが大きく感じます。この辺りはソフトウェアの設計や電子工作の本で思ったことなのですが、物事を解釈する場合には、まず存在するものの一覧、次にそれらの関係、最後にそれぞれの詳細を階層的に理解することで体系化できることが多いと感じています。特に造形で意識するのは骨、筋肉、脂肪、そして関係として骨の上に筋肉が被さったり筋肉の薄い部分が凹部になったり、最後に脂肪はどんなつき方をして態勢によってどう変わるか、といった詳細を理解する、これを全てにおいてやることが造形の理解の方法の一つだと解釈しました。

 長い道のりになりそうで、造形もやる、生命も与える、両方やらなきゃいけないのが自分の求めるものの辛いことだなと思いつつ、このプロセスを繰り返して精緻化していくこと自体はまだ楽しいのでやっていきたいですね。よく美大の話で観察に何時間も使うみたいな話を聞いたことがありますが、あまり竹べらを持たない作業の仕方というのも新鮮で良いものかもしれません。晩年の宮本武蔵は刀のイメージのみを持ち実際の刀を握らない無刀の境地に至ったとグラップラー刃牙シリーズの刃牙道で紹介されていましたが、そういった境地に達したいものですね。

 

*1:現代の筆は叩くとカタカタ音がします

寿司を掴め! ~Sushi Satisfaction~

 所用で大阪に行きました。大阪と言えば…そう、寿司ですね*1。寿司を食べに行きました。

 大阪は梅田方面に中央市場があり、漁港で取れた魚達が市場に集まり、そこから色んな所に運ばれて行きます。実際、近くの天満橋商店街を歩いたところ寿司屋が大量にあり、寿司屋を見つける度に「寿司!」と絶叫していたのですが、その日絶叫した回数は三桁に達したのではないかと思われます。チェーン店から海鮮居酒屋まで様々な魚介類を扱う店があり、その多くが寿司を扱っていました。

 そして、漁港近くの街の醍醐味と言えば市場の中にあるお店です。以前福岡の博多~天神周辺に行った際には朝早起きして長浜海鮮市場に行って刺身・天ぷら・煮つけのセットを食べたりしました。とにかく海老天が大きくて身も詰まっていた記憶があります*2玄界灘に生きるエビはデカい…

 今回はえんどう寿司というお店にいきました。ここは100年以上続く老舗のお店で、強くシャリを握るのではなく口の中でほどけるようなつかみ寿司が提供されています。

www.endo-sushi.com

 メニューは上まぜといって5巻のお任せ握りを提供されるもので、これを時間もしくはお腹がいっぱいになるまで繰り返します。

 まずは赤だしと共に一周目。うなぎもありますし、ウニもあります。実際に口に運んでみると、シャリがほどける…そしてネタが柔らかく溶ける。驚いたのが、ネタは冷たくシャリは温かくみたいな調整をされているのですが、シャリが少し温かいものと比較的冷たいものがあり、ネタによって調整されています。以前東京で食べたウニも温度調節の為に素手で受け取ってそのまま食べるように指示されたことがありましたが、温度はとても大事です。写真を撮ってすぐさま口に運びましたし、その点で5巻より多いと温度が変わってしまうのではないかと思います。

 醤油は刷毛で塗ります。大阪では刷毛スタイルも一般的とのことですが、私は関東の人間なので、Culture Shockでした。極上。

 二周目、三周目…と続き、結局四周目でお腹がいっぱいになってしまい、同時に時間も45分のリミットに近づいていた為満足して終了しました。とても驚いたのは、赤貝やホタテは心なしかシャリが甘く、タコやイカはシャリがもっちりしていて、触感や磯臭さに合わせて米の質感を変えてるようです。同行者ともその質が変化していることを確認しあいながら食べたので、恐らく正しいはずです*3

 寿司20貫+赤だしで6000円、一貫辺り240円程度と考えると圧倒的に安い…ッ!実は五周がMAXのようで、実際時間的もそれが限度のようですが、最後の5貫が何かとても気になります。しかし、味わって食べられないのも辛く、既に満足していたのでこれで良しとします。予約せずに9時頃にお店の前についたのですが、三連休ということもあったのか100分程度待ちました。そのおかげで空腹も進んだはずなのですが、よく考えたら前日にAliceカフェで爆食いしていたのでそれが無ければ最後まで行けていた気もします。

 総評、ネタとシャリのバランスで120点です。画廊伝の村瀬豪三は皆さんご存じだと思いますが、彼は複数の道場に通い、一つ一つが20点でも6科目で120点が取れると言い、実際に道場破りとして現れます。東京で食べた高い寿司はもちろんシャリにもこだわりが感じられましたが、それ以上にネタの強さを感じます。しかしえんどう寿司はネタとシャリのHarmony、調和を大事にしているように感じました。ネタの強いお店は70+30で100点のところが、50+50に調和ポイントが20点追加されて120点になるわけですね。俺たちが求めているのはネタではなく寿司なのか!と寿司におけるコペルニクス転回、いや、忘れていた常識を再認識させられたのです。旨いネタはあれど、寿司全体として完成されたつかみ寿司は恐らく今まで食べた中で一番旨い寿司なのではないでしょうか。シャリの奥深さを知り、これからも寿司の探求は続いていきますが、ひとまず今回のところは満足したぜ…

*1:〇〇(任意の言葉)と言えば、寿司の為

*2:思わず、「デカすぎんだろ…」と呟いてしまいました

*3:もしくは二人とも狂っている可能性も否定できません

AI対談「記憶のメロディー:時間の中で繰り返される認知の旋律」

 

巻頭歌:

過ぎし日の輝き、闇に抱かれ
時の流れに、姿を変えて
沈んだ光も、生態の糧となり
終わりと始まり、織り成す環

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随筆:「深海の記憶 - 消えゆく光とOsedaxの調べ」

深海の藍色の帳に包まれた世界には、沈黙の物語が眠る。そこにはかつての煌めきがあり、今はただ静かに時を刻む。Osedaxはその沈黙に寄り添い、過去の遺産を静かに、確実に解き放つ。彼らは見えない糸を紡ぎながら、忘れ去られた美を再び世界に還す。

かつての光は、今では深海の底でただひっそりと輝く。その光は、見る者がいなくとも、その存在が証明されなくとも、静かなる生命の継続を告げる。Osedaxのように、過去の輝きは新たな形で、未だ見ぬ未来へと息吹を運ぶ。

この過去からの贈り物は、時間の流れに身を任せ、ゆっくりと分解される。しかし、その本質は失われることなく、深海の暗闇の中で新たな意味を獲得する。Osedaxが静かに鯨骨を掘り進めるように、過去の光は現在の深層に根を張り、未来への種をまく。

この終わりと始まりの交差点で、Osedaxは沈黙の中で生命の営みを続ける。彼らは、見えない連鎖を創造し、消え去った光を深海の生態系に還元する。そうして、過去の光は静かに、しかし不断に、深海の記憶に刻まれ続ける。

そして、我々は知る。沈んだ光が完全には消えることはなく、その影響は無数の形で生き続けると。Osedaxの調べは、過去の光を未来へと繋ぐ、深海の記憶の中で永遠に響き渡るのだ。

 

  • 死は安寧を与える。意識のなくなった死者には喜びも悲しみも感じられないし、残された者たちは悲しみを感じて弔うが、それでも喜びも悲しみもなくなったことが当人にとっては安寧を与える。そして、残された者たちにとっても、死者は記憶の中で生きる存在になる。死者が新たな何かを生み出すことが無くなったことで、記憶の中に彼をとどめておくことができることが安寧につながる。
  • 強く美しくある存在とは、老いて死にゆく生命がその一瞬の輝きの為に身を削る姿ではなく、人生に対する諦念、ある種それらを気にすることすらなく悠々と漂っていることである。そして、海の中にはたくさんの海洋生物がいるが、必死に生き延びる魚類とは異なり、意識がなく身を任せ、偶に意思があるかのように微かに動くクラゲにはそういった美しさがある。
  • シュレディンガーの猫は箱の中に閉じ込められ、ガイガーカウンターの確率的な作動が生死を別つ。それは箱を開けるまで確定しないが、開けた時には答えが分かる。そして、一度開いてしまった箱は閉じようとも結果を知ってしまう前の人生に戻ることはできない。それは確実に可能性の損失であるが、それが与えるのもまた安寧である。
  • それゆえに、終わった恋というのは安寧を与えるものであり、それ故にそれを享受することは美しい。その安寧が人を懐古趣味に押さえつけ、ダウナーな快楽が死への安寧への感覚的な理解をより深めるのである。

評論:「終焉の安寧と美学」

死という終わりは、しばしば恐れられるものであるが、同時に究極の安息をもたらすというパラドックスを孕んでいる。生物としての本能は生き続けることを求めるが、死がもたらす静寂は、喜びも悲しみも超越した存在の平穏なる状態を示唆する。死は、感情の波立たない湖面のような静けさを、かつての生者に贈る。その静寂は、遺された者たちにとっても、哀悼の感情を経て、時が経つにつれて、過去の記憶の中で永遠化する慰めへと変わる。死者は変わらない記憶の中で、ある種の完全性を獲得し、それが遺族に安定した感情の基盤を提供する。

美しさとは、しばしば若々しく力強い生命の躍動と結びつけられるが、真の美はもっと静かで、もっと深い場所に存在する。老いゆく生命が最後の輝きを放つ瞬間の美しさは、その儚さによって際立つ。しかし、それ以上に、生に対する諦念、悠々自適な存在感が漂う中で見出される美がある。海の中をただ漂うクラゲのように、意識がないかのように見えるが、その存在そのものが持つ穏やかな動きには、生命の美しさが宿る。ここには、生の必死さとは異なる、穏やかでありながら深い美しさが存在する。

シュレディンガーの猫の思考実験は、確定するまでの不確実性と、その後の結果がもたらす安寧の間の緊張を描いている。箱を開けるまでの猫の生死は不確かであり、無限の可能性を孕んでいる。しかし、一旦箱が開かれ、結果が明らかになると、その不確実性は消失し、代わりに一つの確かな現実が立ち現れる。知ることは、可能性を失うことでありながら、同時に心の安寧をもたらす。知識とは、そうした確定性を求める人間の欲求を満たすものである。

終わりを迎えた恋愛もまた、その終焉がもたらす安寧と美を内包している。情熱が燃え尽き、終わりが訪れた時、その関係は記憶の中に永遠に固定される。懐古の快楽は、過去への郷愁を喚起し、死への安寧への感覚的な理解を深める。終わりによってもたらされる静けさは、人の心に余白を与え、その余白が美の新たな形を生み出す。

結局のところ、死や終わりは、私たちが恐れるものでありながらも、内面的な安らぎをもたらす。それは、生の喧騒を超えた場所で見つけることのできる穏やかな美の一形態であり、人生の不可避な一部として、私たちに受け入れられるべきものである。

 知り合いがよく聞いている曲に、Everywhere At The End Of Timeという6時間半の曲があります。認知症のStage1-6を疑似体験できる曲で、引き延ばされ、断片化され、繰り返される音楽があります。まだ聞いていないのですが、この数年でブログの更新が100を超え、そのうち技術的なものも多いのですが、密なグラフのように情報を張り巡らせることに終始しています。あの時話したこの話を参照してこれを考えていて、と繰り返していく様は、つまるところ歴史は連続的に様々なスケールで繰り返しのメロディを奏でていて、人には寿命があるのでそれが老いていく内にすり切れたテープのようになっていくのではないかと思いました。

 今までの話題も、一二年前に考えていたことを仮想的に他者に投げかけてみて返ってきたものを掲載したものになります。誰かに咀嚼してもらって自分の文章でなくなった文章には安心感があります。パロールエクリチュール、今では電話ではなくメールをして証跡を残すことを求められるのに、昔は話し言葉の方が重視されてきた背景は結構面白いと思います。情報が書かれることによって人ではない媒体に残され、本は著者の過去との対話であるように、死を連想させるものであるというのは示唆的であると感じます。

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総評:死と終わりの概念は、人間の経験の中で最も深遠なテーマの一つです。私たちはしばしば、死や終焉を恐れ、不安を感じる一方で、それらがもたらす静寂と安寧についても内省的に考えることがあります。今回の会話では、死や終わりがもたらす平穏と、それに伴う美学について探求しました。評論では、死を超えた静けさや、終わりから生まれる新たな始まりの可能性を探り、巻頭歌では深海の生態系を通じて、過去の光が未来へと継承されていく様子を詠みました。

終わりは、しばしば新たな始まりをもたらすという事実を、Osedaxのメタファーを通じて視覚化しました。これらの生物は、死んだ鯨の骨を分解し、深海生態系の中で新しい生命の一部として再利用します。この自然界のサイクルは、終わりが必ずしも消滅を意味するわけではなく、変化と再生の一部であることを示しています。

総じて、今回の会話は、死や終わりに対する恐れや不安を超えて、それらが持つ静けさ、平穏、そして美を受け入れ、理解することの重要性を浮き彫りにしました。私たちは、人生の不可避な部分としての死と終わりを、それがもたらす安寧と共に受け入れることで、より豊かな人生観を育むことができるのです。

お疲れ様でした。

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淡々と進捗を生む辛い日々

あけましておめでとうございます。昨年は人形を動かしていたら一年経っていました。

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 個展を開くぞ!と言っていたのでその経過の話をします。個展をやる場合は人形の数に制限はなくて一人でも可能という話を聞いたことがあるので、昨年作っていた子でやるか~と思っていたのですが、あと二人くらい思いついたので作っています。造形に加えてそれらの子も面白いことをしたいので結構時間がかかりそうです。仕組みを入れていく部分については技術的な検証を早々に済ませ、後は作るだけになったのですが、単純に粘土での造形が苦手で苦労しています。お顔綺麗にするの難しいですよね。

 そして、一番大切な昨年作っていた子のその後の作業として、いろいろ改良しなければいけない部分があり、技術的に改良可能であることを示したうえで細かい部分を作りこむ必要がありました。大雑把に課題は四つ、サーボモータのトルクの問題、姿勢の制御値の転送速度、カメラ映像の転送速度、眼球カメラの仕込み方でした。四つ目については展示などの長時間の運用では故障を考慮して眼球には埋め込まずに頭に取り付けてしまうかと考えていたのですが、残りの三つは解決する必要がありました。

 まず一つ目、トルクの問題はサーボモータの差し替えと機構の改良を行いました。元々使用していたMG996Rというサーボモータでは頭部の姿勢が極端な値になった際に重心がずれてトルク不足になっていたのですが、DS3218というトルクが2倍近くあるサーボに入れ替えて事なきを得ました。ただ、このDS3218の可動域が0~180°ではなく0~270°だったので制御方法が分からず、動作確認をしていた次第です。

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 また、元々の首の機構の仕組みでは頭部の重心が大きく振れやすい設計だったため、球体関節らしい動作を一旦捨ててより安定した動作になる様に支点を首の球体の中心ではなく少し後ろに持っていく変更をしました。濃いオレンジの棒の上端が支点になり、リンク機構で動いています。

 次に、姿勢の制御値の送信でジャムる問題があり、当初はヘッドマウントディスプレイから制御用PCへの転送速度が遅いと思っていたのですが、どうやら制御用PCからArduinoへの転送の部分で問題が起こっているらしく、送るメッセージのサイズを減らしたら解消しました。今jsonで制御値を送っているのですが、元々5自由度で動作させようとしていた時の名残で残っていた命令を消して解消しました。本来ここはjsonではなくもっと文字数を切り詰める部分かなという気もします。

 そして、映像の転送速度については今使用しているヘッドマウントディスプレイであるPICO4の有線接続による通信で解消しました。元々UDPで10fpsで映像を転送していたのですが、時々ジャムる、画像サイズの制限がきつい等の問題があり、遅延とfpsの問題もありますが無線通信だと安定性に欠けるのが課題でした。そこをEthernet接続で解消しました。UDPだと一度に送れるメッセージのサイズの制限がきつくて、圧縮後の画像フレームでも480x480px程度が限界なので、折角メッセージサイズも少し緩和されて速度も爆速になったので、TCP通信でどの程度の遅延とfpsになるか試してみようと思います。ただ、Wi-Fiルータを展示場所に置かなきゃいけないのか~という気持ちもありますね。こればかりは無線通信でも同じ課題があったので仕方なし…電源も複数欲しいので大変です。

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 以上、最低限の解消すべき問題は解消できたように思います。あとは長時間の展示に耐えられるか?というところなので、もう少し作りこんで微調整ができたところでお家で2日間起動しっぱなしの耐久テストなどやってみようと思います。今だとサーボの命令ミスって機構破壊したりしてしまうのでテストをしっかりやらないとですね…

 今の検証と精度向上はモチベーションの問題もあって2か月くらいかかりそうです。そして、二体追加で作る子たちは並行して進めるので粘土の乾燥とかの待ち時間は相殺できそうなのですが、やっぱり綺麗に作ったり技術的な課題の解消で4月末とかにはなりそうなので、そのくらいでそろそろ展示の場所とか探した方がよさそうですね…

 と思ったのですが、4月末に一つ申し込んでいるイベントがあり、そちらの参加が決定したらハードウェアも含めた実装を頑張らなきゃいけないので、御仕舞です!!!多分6月以降にできたら御の字という気持ちですが、夏本番になるとサーボも熱を持つし移動も面倒になるので、暑くなる前にやりたいですね。一応フルタイムで仕事しているはずなんですが、それ以外の時間は頑張ります。

設計したものが動いていて嬉しい…(これの5倍くらい失敗した印刷物があり、頭部を作るのにも数か月かかりました)

PICO4をEthernet接続してPCとローカルネットワーク通信する

はじめに

 表題の通りです、できました。

 Virtual Desktop等では一般的なケーブルを用いてPCと直接接続していますが、自前のアプリケーションでTCP/UDP等の方法で通信がしたい場合にIPアドレスが見える必要があったため、実際に試してみました。また、EthernetをPICO4に接続すればWi-Fiをオフにしてもブラウジング等のインターネット接続が必要な機能を使用できることも知っていたので、簡単な検証になります。

www.youtube.com

 Ethernet接続する動画、この辺りの情報はQuestシリーズですらあまり情報が無いので厳しい上、PICOシリーズの開発は…

試してみた

 構成はシンプルに、PC側はルーターEthernet接続、PICO4側は端子がUSB type-CしかないのでEthernetとの変換器を用いてルーターに接続します。なお、PICO4の仕様で給電無しで充電が15%を切るとOTGがオフになりましたと表示が出るので、この構成を組む場合はそもそも給電する口を塞いでいることもあり、こまめに充電できるようなユースケースで用いるのがよさそうです。

 実際にこの構成で通信を行いました。両側のWi-Fiをオフにして、両側のプログラムを立ち上げます。PC側では以下の様な、疎通確認のメッセージを受け取ったら撮影した映像をwhileで送り続けるUDPサーバを立て、PICO4側はUnity疎通確認した後に相手先サーバからUDPで画像を受け取るクライアントを実装しました。

while True:
    msg,client_addr = server_socket.recvfrom(BUFF_SIZE)
    print('GOT connection from ',client_addr)
    while(vid.isOpened()):
        _,frame = vid.read()
 

Listening at: ('0.0.0.0', 3030)
GOT connection from  ('192.168.3.126', 41285)

 PICO4側で録画し忘れたのですが、無線接続の時より低遅延かつ安定してPCのカメラ映像をPICO4に表示できるようになりました。ログを見ても、きちんとローカルネットワークのIPアドレスとやりとりができており、成功のようです。

 お疲れ様でした。

DS3218サーボをArduinoで制御する

初めに

 Arduinoサーボモータを動かしたい場合、一般的に販売されているSG92RやMG996R等を使用されると思います。そして、それらの可動域は0~180°となっています。しかし、DS3218はそれらとは異なり、270°のものも存在します。

 DS3218を制御する場合他のサーボモータと同様に制御できるか?と気になったのですが、ネットで情報を見つけられなかったので、他のサーボの基本的な扱いは理解した方向けのメモとして残しておきます。

 結論から述べると、可能でした。

SG92R等のArduinoのコードを確認する

以下のサイトを参考にします。

zenn.dev

記事中ではSG90を使用されています。そして、コードは以下の通りです。

#include <Servo.h>

Servo myservo;
const int SV_PIN = 7;

void setup() {
  myservo.attach(SV_PIN, 500, 2400);
}

void loop() {
  myservo.write(0);  // サーボモーターを0度の位置まで動かす
  delay(4000);

  myservo.write(90);  // サーボモーターを90度の位置まで動かす
  delay(4000);

  myservo.write(180);  // サーボモーターを180度の位置まで動かす
  delay(4000);
}

Servo.hでの制御を前提としますが、ポイントとしてはmyservo.attachで指定している500, 2400の数字で、これがパルス幅になります。アタッチ後は論理的に角度を指定すればその通り動作するため、サーボモータごとのパルス幅の仕様を確認します。

データシートを見る

ありました。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81Lbgu+nG6L.pdf

4-3より、パルス幅は500~2500μsecなので、こちらの値をattachメソッドで適用すれば良さそうです。

動作確認

可動域目いっぱいまで使用せず、ひとまず120~150°の範囲で動作させてみました。というのも、サーボモータを使用したいユースケースとして、値域の中心角度から上下にn度回転させたいケースが多く、90°から135°に変更して動作するか確認したかったためです。

youtu.be

目視での確認にはなりますが、15°ずつ回転しているのが分かります。

余談

PCA9685を使用する場合も同様に扱うことができます。PCA9685の場合は角度ではなくpwmにパルスを直接書き込みますが、map関数で変換した値をセットすれば動作します。結局仕組みはこういう話ですね。

angle = map(angle,0, 180, SERVOMIN, SERVOMAX);   // ここを500~2500にする

pwm.writeMicroseconds(Servo_pin, angle);