人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

最近読んだ本の話とか

数か月間長めの文章を書いていなくて、その間に私用PCが変わったり労働を始めたりしたので、リハビリも兼ねて書いています。

最近読んだ本

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

Amazonで本を漁っていたらタイトルがよかったのでジャケ買いしました。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて | 熊代 亨 |本 | 通販 | Amazon

 

昭和は古き良き時代…である裏で暴力や秩序のなさといった問題もあったけど、一方で現代は秩序や治安が求められすぎて窮屈になっている、といった趣旨の本です。内容は概要・精神医療・健康・子育て・清潔さ・アーキテクチャとコミュニケーション・資本主義・個人主義・社会契約といった内容でした。

個人的には興味のあった部分に対して、いくつかの点で新しい視点を与えてくれる本だったように感じます。

まず、精神医療について、近現代では昔精神病と呼ばれていた病気や障害について、積極的に医療の枠組みで捉え改善しようとする試みが行われています。しかし、これは社会生活を行う基準を満たさない人に対して治療をして社会の枠組みの中に戻すことを求めており、社会における価値に依存していることを指摘しています。

次に、健康についても、フィクションにおける喫煙シーンがされるなど社会一般に健康的であることをよいとする価値観が根付いており、そうではない存在が消されつつあるといったことについて述べられています。

また、子育てについては社会生活において求められる秩序のレベルの向上や核家族化の進行により子育てのハードルが上がっていることが述べられています。また、子育てを投資と同じようにリスクと得られるリターンといった基準で考えざるを得ない状況が発生しているといったことも指摘されていました。これについては私は反出生における存在への苦痛や所得の問題があるのかなと考えています(次に読んだ本に関連します)。

コミュニケーションについては、分人化(人の性格は所属するコミュニティや相手によって見せる面が異なり、それの総体として個人が存在する)や選択的にコミュニケーション対象を決定するSNSのプラットフォームの構造から、互いに相手にとって都合の良い自分のみを見せるディスコミュニケーションについて指摘されています。地縁から離れることでかかわらざるを得ないコミュニケーションを排除すると、選択したいコミュニケーションの身を選択できますが、そこで相手に魅せられるアイデンティティが存在しない人間は社会から排除されてしまう構造がありますが、もっと相手のすべてを見て殴り合うコミュニケーションをしたいですね。

他にも詳細に書いていないトピックがたくさんありますが、総じて面白い内容でした。一応記載しておくと、著者はこういった秩序の不自由さを否定しているのではなく、昔より”良くなった”ことで代償として不自由さが発生していることについての視点を与えています。私も同意しますし、良くないことや社会の価値観から外れることの許容といった観点は常に頭の隅に置いておきたいですね。

あとは芥川龍之介のことばが引用されていて、それがとても良いと思いました。

最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである

芥川龍之介の作品では『河童』が好きで、河童に誘われて河童の世界に迷い込んだ男…の発言を精神病棟で記録したもの、といった内容なのですが、独特な世界観としてメスの河童がオスの河童を追いかけ演奏を禁止するための検閲が存在し、解雇された職工は食肉にされてしまったり、割と風刺的な要素を含みます。その中でも生まれる前の腹の中にいる河童が親に生まれたいかと聞かれて、「遺伝病への懸念から生まれたくない!」といって死んでいくシーンは印象的で、反出生における存在しえた主体の存在/非存在についての自己決定権とか、社会的な良さへの疑問といった点で面白いと感じました。この作品は単なる風刺作品ではなく著者の苦しみとかも垣間見える作品なのでその点だけで語るのはフェアではないですが、それも含めて社会に対するメッセージがあるのではないかと思います。

最近読んでないのであまりきちんと言及できませんが、澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』などもこういった議論を、かなり前の年代の時点で行っていたので、また読み返そうかなと思います。

ポストヒューマンスタディーズへの招待

前々からTwitterで言及されていて気になったので読みました。

ポストヒューマン・スタディーズへの招待 | 竹﨑 一真, 山本 敦久, 杉山 文野, 岡田 桂, 渡部 麻衣子, 標葉 靖子, 隠岐 さや香, 久保 友香, 関根 麻里恵, 田中 東子, 重田 園江, 山本 由美子, 門林 岳史, 竹﨑 一真, 山本 敦久 |本 | 通販 | Amazon

ポストヒューマンというとサイバーパンクやロボットの発展した社会で人間をやめるぞーッッ!!といった内容を思い浮かべそうですが、フェミニズムが中心的な話題になっています(大きめの書店で探すと社会学の中のフェミニズムコーナーに配置されていることが多いように感じます)。というのも、そもそも「人間」とは西洋近代の理想的な姿に与えられてきたものであり、そこでの近代の理想たる人間は白人/男性/ヘテロセクシュアルを体現される者たちであるといった視点があります。そこで、近代の被抑圧的な女性性や新体制を複数かつ複線的な物語として語りなおそうとしてきた試みた行われてきた背景があるらしいです。

内容としては、トランスジェンダー・アスリートと性別二元論、フェムテック、女の子たちのメタモルフォーゼ、生殖技術、〈ポスト〉の思想といったトピックについて、シンポジウムの内容をもとに11章で構成されています。

個人的に最も興味のあった人間ラブドール製造所について、メイクや装飾・箱詰めされる体験を通じてラブドールになるといったサービスで男性の方もある程度利用されているようなのですが、これはもっといろんな人が経験すると面白いのではないかと思いました。というのも、社会としても個人としても女性性は特に外見について他者から評価される・眼差される経験を多くしているように感じますが、そういったどのようにみられるかについて、考える機会はそうではない人にとって貴重だからです(個人的には必要のない場面において他者から評価されない方がうれしいですが…)。他者は一方的に消費する存在ではなく、自分もそうである、といった関係性について考える機会はあると嬉しいのではないかと思います。もちろん、シンデレラテクノロジーとして自分が美を纏うことや変身することについて、といった点でも面白いサービスだと思いました。また、それがルッキズムにつながる懸念についても考えていく必要があるとは認識しています。

他にも、生殖については不妊治療における母体への負担の大きさや、優生学についての議論がされていました。この辺りは経験がないので詳しくないですが、経験がある人だけが知っている分野でありほかの人は全く知らない分野であるといった指摘はされており、その点でも読んでおく必要がある内容ではないかと思いました。直接聞けるような周囲の環境があるとよいのかもしれませんが、そういった環境はなかなか実現できなさそうなので…また、優生学について考えると、やはり良さが内面化された社会について思いをはせることになりますね、そこから逃げるべきかは断言できませんが、常に疑問を投げかける姿勢は失ってはいけないと思います。

読んだ感想として、おそらくSNS上でみかけるラディカルなフェミニストとは異なり問題を提起し、中立的な形でその対象となる存在すべての観点から包括的に改善を試みている印象を受けました。

現代思想 反出生主義を考える

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積み続けた本を読みました。フォントサイズと2段組みが苦手でしたが、意外と読みやすい内容でした。

反出生主義といえばベネターが提唱したものとして有名ですが、ここではベネターの理論自体は議論の中で紹介されるのみで、その周辺の批判や養護といった議論が中心的な話題になっています。

印象的だったこととして、ベネターの貢献として反出生の考えを分析哲学の俎上に載せたことが挙げられます。反出生主義について巷で流行っている中で、踏み込んだ議論がされることは少ないですが、これは単に勉強していないというよりは現実における主体的経験としての苦しみがベースとなっていて、全体的な議論に立ち入る必要がないといった風に見えます。分析哲学は知的な論理ゲームとしての側面を持ち、現実の苦しみについて立ち入らない議論に終始してしまう懸念がある、といった側面を理解しておくのはかなり重要なのではないかと思います。そのため、より現実に即し、かつ個人の主体的経験に基づいた考え方が重要なのではないかと思います。

補足をすると、ベネター自身の批判に対する養護の特集を見るとわかるのですが、首長の範囲は意外と狭いです。例えば、生まれた後の存在の苦しみについては別の議論として語っていて、あくまで存在/非存在が存在する前の段階においての議論を中心としています。また、その対象は「苦痛を経験する主体」に限られており、それなりに議論の枠組みはきれいなように見えます。逆にベネターの枠組みに則ると批判が難しくなってしまうといった問題はありますが。想定される批判はすでにされている場合もあり、それに対する養護によってより明確に主張が形作られるといったこともあるので、こんな批判ができるのではないかと気になったら読んでみてもよいかと思います。

ベネターの主張はぱっと見だとかなりラディカルに思えますが、この本はそれを支持するというより周辺的な議論を扱うもので、その中で反出生主義に対する策を考えることで現実を生きる力を与えるといった目的があるのではないか、と感じ取れる部分もありました。反出生の議論でしばしば語られるペシミストシオランや、ショウペンハウエルの『自殺について』では、とても後ろ向きなことが書かれていて、そこに温かい闇みたいなものを感じますが、そういったことも含めて、敢えてマイナスに見えることについて語ることで解像度を高め、生き延びるための活力を得るといった生き方は、幸福に生きられない存在にとってのスタンダードになりうるのではないかと思います。

気になった点として、出生を肯定する主張では未来に対する責任や全体主義的な考えが提唱されていて、これについてはやはり個人によって同意できるか変わりそうだと思いました。個人の意見に大きく依存する部分を公理として置く必要がある部分が議論の中にあり、そういった点で、反出生/出生についても任意の議論と同じくただ体系を構築する学問ではなくその主張を通すための戦いがあるように見えました。

 

人形の話

話は大きく変わりますが、本を読みながら反出生と人形について考えたりしていました。

個人的な話として、最初に読んだ本との関連もあり、やはり苦痛を経験する他者を主体させるのはリスクの観点から恐ろしいと感じてしまいます(このリスクの観点で捉えることの是非を考える必要もあります)。

これはすでに存在している主体についても同じなのですが、他者に何かを求めるのは一定の暴力性があります。暴力性というとそれを行うべきではないように思えますが、これはコミュニケーションの能力や運によって発生を抑えられるものなので、それが適切に行えている、あるいは関知しない人にとっては問題ないものだと思います。

そのうえで、他者に対する暴力性を気にする人が何かを求める先として、意識を経験しない主体こと人形は一つの救いを与えうる形式なのではないかと考えた、というのが私の考えのすべてです。意識を経験する主体に他者に良さを求めることが難しい主体にとって、自分がそれを体現するか、意識を経験しない主体にそれを求める、といった方法は現在の社会で受容されるかわかりませんが、ただ実践されている方はいますし、それを自身が許容できれば救いになりうると思います。無生物と結婚されたり、パートナーをあくまで同じ方向をまなざす他者としてその方向に美を置いたり、といった形式について考えを広げていくことは有意義だと感じています。

この考えについて、恐らくピンとこない方もいると思いますが、実際にこれを思う人は私の観測範囲でもいるようで、人には人の経験や考えがあることは意識しておく必要があります。その点では、知的な論理ゲームとして話を展開せず現実の苦しみに常に寄り添うことは気を付けていきたいですね。勿論、意識を経験する主体を生み出すことで得られる可能性のあるリターンは損得勘定で捉えられない創発的な喜びを含む上に損得勘定を前提とした考え方自体万人に受け入れられるものでもないので、そういった方面での人生の楽しみ方もできそうであればやっていきたいですね。