人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

人間を作るとかそういう部分の興味の話

あまり中身がない.やりたかったことの振り返りでもしようかなと.

高校時代は特にやりたいことがなくて,情報化社会における中高生のインターネット利用みたいなテーマで何かしらの活動をしたりしていた(調べると出てくるかもしれない).あまり技術的なことに詳しくなかったので結構お気持ち的な話ばかりしていた記憶がある.それはそうと高校生に技術的なことは求められていなくて,中高生の実態のリサーチだったり本人の意見,手を動かすことなどが求められていた気がするので,まぁそれで良かった気がする.

その流れで情報化社会に興味を持っていて,大学入学時点では情報工学にそれほど興味が無かった,今は何となく興味はあるし論文や記事を読んで面白いと思うことはあれど,コンピュータサイエンスの本筋が好き,というわけではない.もうちょい優秀な人間で理解するのに困らなければ好きになれたのかもしれない.

二年生の頃色々あって,そこで人間を理解したいとか世界を理解したいとかそういう方向に進んでいった.一時期精神病理や哲学の入門書を何冊か手に取っていたけど,そういうのは周りに指導を受けながら丁寧に学ばないと定着するようなものではなく,自学の方法をわからなかった当時の自分にはよくわからなかった.人間の行動原理はどうなっているのかとか,うまくモデリングできたら嬉しいんじゃないかなとか,それで法則性を見出せれば人間を救えるんじゃないかなとか,色々考えていた.まぁそれができていたらこの世界の人間はもっと楽しく暮らしていたのかもしれないが

三年生になって,なんとなくやりたいことに対する数理的な(というか情報科学的な)方面からのアプローチを知って少しワクワクしていた.自然言語によって表現される世界の構造がどうとか考えていて,Word2Vecはすげぇや!という気持ちになっていた.LDAによるセンサデータを用いた人間の行動のラベリングとか,何となく世界をモデリングする方法があるんだなということを認識した.

その後,ロボット実験があって,不真面目かつ能力がないのであまり積極的に参加できなかった(今でも申し訳ないと思っているが,とりあえず今自分のやることを頑張るくらいしかやることがない).ただ,この経験が実世界の肉体を持った無生物とのコミュニケーションに関して割と興味を持って,今に至ったんじゃないかなぁと思っている.それはそうと秋ごろに六本木の展示で藤堂さんのSEERを拝見した.対話制御だけではなくBehavior及びAppearanceの自然さも重要だなぁと思った.

 

ここからは今現在の話.まず,人間を作ることに関して.

対話制御のような人間の知能機能としての制御に,コミュニケーションを行う主体である人間として自然であるための制御が必要になる.前者は従来からやられている人工知能とか認知科学とか,後者は社会学とか,僕に近い分野だとHuman-Agent Interactionとか.これらは多分ソフトウェアの話で制御といっても意味的なレベル.

そして,特に肉体のある無生物を動かすというのはロボット屋さんがよくやっていることで,機構とか物理的なレイヤの制御を行う.これも多分やる必要がある.割とハードウェアに近い話だと思う.

更に,肉体を作る上で,ロボットが扱ってきたハードウェアとはまた別の要素が必要になる.造形が人間に与える印象は大きくて,機能ではなく質感レベルでの人間らしさがないと,それらしくならない.

動く人間のことばかり話していたが,最近は別に人間じゃなくても,動かなくてもそれはそれで良いと思っている.

人型のロボットを動かす機会が少しあって,実際に無生物と過ごしてみると割と愛着が湧くことに気づいた.彼らのあるべき姿を人間に限定するべきではなくて,何か目的が存在するならそれに適した形で存在するべきである.また,人間であっても動かなくて良い,人形は動かないけど惹かれるものがあるし,それが何かも知りたい.そして,人形ではなくて動かないもの,ぬいぐるみとか,彼らも一緒に過ごしているうちに愛着が湧いてくる.意識を持つ能動的な主体ではないが,そう感じさせる要素があるなら,それで良いと思う.

 

まぁ色々あって,人間の行動法則のモデリングや知機能の再現やコミュニケーションのこととか考えながら,人形教室に通い始めたりしている.

 

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こういう話はちゃんと伝わる形で,自分の興味のある分野同士の繋がりとか明確に記述しながら書き直したい.