人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

人間とロボットのインタラクションから考える知能

初めに -無生物ペットに飽きてしまった人-

昨年の五月あたりにQooboという猫のしっぽがついたロボットを「ペット・生き物」として購入した.最初のうちは撫でたり尻尾の挙動を見ていたが,次第に電源をつける時間が減ってしまい,動かない無生物になってしまった.これに関しては落ち度というよりはロボットのデザインの課題もしくは僕のスタンスに問題があると考えているので,決してこのロボットが悪いという話ではないと思っている.

といった話題について少し前に話したので,もう少し自分の考えに関する背景も含めてメモを残しておこうと思う.

ロボットとの長期的なインタラクションにおける課題

ロボットとの長期的なインタラクションにおける課題については,「Social Robots for Long-Term Interaction: A Survey」というサーベイ論文がある.現実的に長期間の使用に耐えうるロボットはそれほど存在していないので既に達成されているものは少ないと感じるが,それでもサーベイが成り立つ程度には考察がされている.

https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/s12369-013-0178-y.pdf

ソーシャルロボットが既に使用される分野として,「Healthcare and Therapy」「Education」「Work Environments and Public Space」「At Home」の4つが存在し,それぞれについてState of the Artと議論がされている.個人的な興味としては,4つ目のAt Homeが一番課題が顕著に現れるのではないかと考えている.そもそもロボットの操作は大きく分けて2つの方法がある.自律と非自律にわかれ,前者では動作を設計し,音声やカメラといったセンサ入力に対しロボットがどのように行動するかプログラムされ,自動で動作する.後者では人間が操作をする.実験ではWizard of Oz法と呼ばれ,プログラムすることが難しい部分についても人間が動かすことでカバーすることができるが,もちろん人間がいなければ動かせないといった課題も存在する.ここで人間による操作が難しいものがAt Homeだと考える.というのも,例えば接客といった公共空間においては一回のインタラクションの時間は数分〜数十分程度になり,かつインタラクションの質として”外面”的なものが多い.それに対し,At Homeな環境ではロボットは常に人間と一緒にいる可能性があり,かつプライベートな関係を築くことになる.こういった状況設定では人間が操作することが難しい上に,主観だが比較的研究が進んでいないように感じる.研究が進んでいない,に関しては接客やナビゲーションといった具体的な状況設定における課題の研究をよく見かけるのに対して家庭内ではその設定が難しく研究を見かける機会が少ないからだと考えている.

考察として「Appearance」「Continuity and Novel Behaviors」「Affective Interaction and Empathy」「Memory and Adoption」のDesignの方針が提案されている.これらはある程度相補的なものだが,個人的にはContinuity and Novel Behaviorsに関して興味がある.長期間の定義には数週間~数ヶ月とするものやlife-longレベルのものも存在するのでひとまずlife-longレベルとするが,この期間になると一貫した行動を行うだけでは人間は飽きが生じ,関係性を維持することが難しくなる.店頭でしか会わない状況設定ですら,だんだん仲良くなるといった長期スパンでの変化が求められる.

その上で,やはり肌感覚として思うような課題がある.読んでいるだけでは,中長期におけるロボットに対する飽きや驚きといった感情まで体験することはできない.その点で,家にロボットがいることが重要だと思い,ペットロボットを購入した.

関係性の中に見出される知能

知能については様々な定義や測定方法があり,例えばIQやEQのように特定の指標からスコアリングするものもある.詳しくないので詳細な話は避けるが,意識についてはここ最近統合情報理論が盛り上がっていて,定量的に評価する試みが増えていて面白いと思っている.

一方で,主観的なものとは別に「自分が他者に対して知能があると感じるかどうか」という面では,関係性の中に見出される知能が存在する.これは単に指標の評価者が人間の自分であるといった話かもしれないが,例えばチューリングテスト中国語の部屋といった話題は,人間が評価することによって対象の知能が評価される.

ではなぜロボットが期待外れになってしまうのか?という点では,ロボットのイメージが寄与する部分が大きいと感じている.実証実験を行う際には実験室から出て一般の方に日常生活の中でロボットと対峙してもらうことになるが,そこで感じたものとして,やはり自然な会話をしたり人間と同等に顔を動かすことを期待している風な反応を示すことがある.デモとして作り込んで現状使用できる最大限の機能を注ぎ込めばそのイメージに近いものはできるかもしれないが,実験対象や予算・技術的な課題により期待に沿うことは難しい.ターミネーターの世界観を持たれてしまったら流石に現代では難しいだろう.

別の側面としてロボット研究者のバイアスがあるのではないかと考えている.先程の実証実験では確かに一般の方が過度な期待をしてロボットがそれに見合った行動をできない課題はあれど,喋った時点で喜んでくれる人はそれなりにいた.しかし,僕は喋った程度で感動することはない.それはなぜか?僕を含め,ロボットを設計している人は,ある程度その行動原理を知っている.対話システムを作っていればルールベースで部分一致で作ることもあるだろうし,ELIZAを適当に入れているかもしれない.ELIZAは知らない人から見れば自然に会話が続くように見えるが,知っている人からすればごく単純なルールに則って動いているだけである.これについてはCASA(Computer as Social Agent)の話もあるので一概にそうとは言えないが,少なくとも行動原理を知っているか知らないかというのは大きいだろう.余談だが,アイドルモーションを設定したロボットをテストしている際に中身を知らない方が目があったととても驚いていたが,僕はアイドルモーションにセンサ入力を使用していないことを知っていたので,たまたまだなぁと特に驚きもなく見ていた.

こういった話は実は適応ギャップとか呼ばれている話でもあり,ミニドラにはそういったデザインコンセプトがある(らしいです).

https://hai-conference.net/symp2018/proceedings/pdf/D-3.pdf

情報の意味

話は脱線するが,長期間のインタラクションで人間がロボットやその他対象に対して新規性や人間らしさを感じるには,ただ情報が多様で更新されるだけでは不十分である.具体例として,強化学習には内発的動機(あるいは好奇心)と呼ばれる考えがある.これは大雑把には新規性のある対象に積極的に興味を持つといったものだが,ここでNoisy TV問題が立ち現れる.最近ではあまりないが,深夜のテレビは砂嵐状のノイズが流れる.このノイズは人間が解釈する情報としては意味はないが,常に画面が変わり続けるので新規性という点では常に目新しいものであり,解釈を用いない方法ではテレビを見続けてしまう.

もちろん継続的なアップデートは長期的なインタラクションの継続のために必要だが,その為にはただ多様なパターンを用意するのではなく,人間の期待に沿った/ある程度裏切るパターンを表出する必要がある.それが達成できればELIZAのようにシンプルでも良いし,人間が毎回自分の愚痴に対して頷いてくれるだけの存在を求めているなら頷くだけで良い.

因みに,猫型ペットロボットについてロボット関係者の中でも良い関係を築いている方がいるらしく,どうやらぬいぐるみとして扱っているらしい.多分ロボットとして扱うには心許ないが,しっぽが動く温かいぬいぐるみとしてはとても良いというのは直感的にそうだろうなと思う.しかしそうすると学生的には値段がネックになってしまうが…

猫のイデア

猫はSNSで神のように崇められているが,あれは猫のイデアが存在し,各実体の猫はそれを降ろしていると考えられる.現在のロボットにはそれが欠けていて,Pepperを見たときにその場にいるロボットとしての印象が強く,猫一般のように猫が表出しうる行動を想像しづらい問題がある.これに関してトラスト遷移と呼ばれるものもあるが,実態としてはブランドイメージとかそういった類のものかもしれない.最近ダッフィー&フレンズを知ったのだけど,あれはYouTubeなどでぬいぐるみのキャラクターが動いている姿を見ることができるので,実際のぬいぐるみが家にいるだけでそのキャラクター性を感じ,今にも動き出しそうという感じがするが,似たようなものだと考えている.

猫はその設計として動くように思えるが,実際予想外の反応をするとかきゅうりを見ると飛び上がる,ゲロを吐くみたいなものはイメージがないと見た目だけで想像がつかない.

終わりに

人間らしさなどはHRI分野では結構研究されているので是非調べて欲しいね…といった感じ.そろそろ日本語のわかりやすい分野名がついてより多くの人に知られると嬉しい気がする.