人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

個展『Project Beyond Eve』とは何だったのか

はじめに

2024年12月6日から8日の三日間開催した個展について、結局何を目的とし、何を示したのか振り返ります。発端となる人形の制作は2年半ほど前になりますが、語り口として複数の視点があるように見えるので、まずはメインのステートメントを示したうえで、他の視点で自分がどのように人形を見ていたのかを考えていきます。後半には備忘録として技術面の話や展示の感想も残そうと思います。

Project Beyond Eveとは何か

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 まずは一言にまとめると、「過去、現在において人間に近づいてきた人形に対し、未来において人間が人形に近づく過程」となります。これを通じて人間が自己を越えて他者になる可能性を提示するためのプロジェクトになります。

 このために、過去を示す棺、現在を示す蓄音機、未来を示す船の三体の人形を作成しました。これらの名前はあくまでこの展示での役割を果たすための名前であり、彼女たちには別の名前があります。

 それぞれの人形の概形については動画をご覧ください。

キャプション原文

 展示スペースには全体説明に加えて3体の人形それぞれの説明文を記載しました。幾分か主張が分散してしまっていますが、それらがまとまった形で記載されています。

全体説明

日本語でイヴのその先へと題し、三体の人形を通じてその先へ進む過程を示すプロジェクトです。

 イヴは聖書において最初に言及される女性であり、様々なモチーフとなってきました。小説『未來のイヴ』では貴族青年エワルド卿の為にエデソン博士が理想の女性としてアンドロイドを作り上げ、この機械人形に対する恋が可能であるかを問います。

 その電気式の女性は、元となった絶世の美女アリシャの見た目や声を完全に再現し、更に気高い精神を持ち美しい言葉を紡ぐ理想足り得る存在としてエワルド卿の前に現れます。彼女は他者として、あるいは恋人としての一つの到達点なのかもしれません。

 『未來のイヴ』は1886年に発表された小説で、その当時は到底実現できないであろう科学の驚異として、構成要素が緻密に描かれました。声の再生には蓄音機で事前に保存した音声を使用する、髪の毛は職人に依頼して一本一本植毛したウィッグを作る、香水として龍涎香を使用するといったところまで。現代の科学においてこの方法論でのアンドロイドの実現は不可能で未だその身体の制御や知性、人間らしいやわらかい肉体は満たせていませんが、それでも少しずつアンドロイドができるのではないかと希望を持てる進歩があります。

 そこで、アンドロイドが完成した先には何があるのかを考える為に機械式の人形を制作しました。

 

  • 一体は外部から与えられた拍動装置により心臓が鼓動する、生命を再現します。
  • 一体は外部から与えられた眼差しに反応する、恋人としての他者を再現します。
  • 一体は外部から与えられた精神により動作する、人間が憑依することで自身の肉体を超える姿を表します。

 

 これからの人形と人間の可能性を探り、未来に希望を持つために。

過去、一体目の人形『棺』

 

2024年作 石塑粘土・ジェッソ・油絵具・PLA・機械

 

 人形は何によって命が宿るのでしょうか。一つの解は、人の眼差しによってそれらに生命感を感じられる時です。そしてもう一つの解として、人間の生命活動を代替する機械によって、動きが与えられた時だと考えます。

 しかし、命を宿らせるための二つの解は、他者がソレに生命を与えるという点で同じものと捉えることができます。形のないエネルギーを与えられ閉じ込めるための器、言い換えるとその生の本体を封印した棺だと思います。

 眠っている彼女は、外に取り付けられた白い棺の形をした拍動装置によって心臓の拍動を与えられます。そして、音と振動が胸から発せられ、その鼓動はモニターに反映されます。安らかに眠る彼女には、命が宿っているように見えるでしょうか。

 話は変わり、「不気味の谷」という言葉があります。人間に似せたロボットやキャラクターを作るときに、よりリアルに、よりリアルにと作りこんでいくと急に違和感を感じる時がある。その印象が悪くなる谷間をそのように呼びます。生きていると感じるのは、実はあくせくと働いている時よりも、ふと部屋の扉を開けた時に眠っている等身大の人間の存在感のような、もっと静かなものなのかもしれません。

 

 眠るだけのこの子は、リアルな人間になる必要があるのでしょうか。このまま、彼女らしく、彼女にとっての生を謳歌することを願っています。

二体目の人形『蓄音機』

2024年作 石塑粘土・サーフェイサー・油絵具・PLA・機械

 

 人形はただ自分の生命を維持する装置として動作するだけではなく、他者とコミュニケーションを図ることが可能になります。フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンの小説「未來のイヴ」では、絶世の美女ながら卑俗な精神を持つアリシャに絶望した恋人のエワルド卿の為に、エディソン博士がアリシャを模したアンドロイドを作り上げます。

 そのアンドロイドは絶世の美女を模して皮膚や髪の毛、ひいては香りまでも再現し、そして美しい言葉をもってエワルド卿の前に現れます。このような理想のアンドロイドはまさしく未來の存在ですが、その言葉はアリシャに芝居を打ってもらい、その声を蓄音機に込めたものを再生したものでした。

 その状況に合わせてエワルド卿にとって時には喜ばしく、時には戦慄させる程の言葉を放つ知性には裏がありますが、「事前に記録された動作を再現することで他者に意図を感じてもらう」というのが、他者の眼差しによってその精神が成立する彼女なのです。

 首をもたげた彼女は、あなたに気づいて顔を上げます。そこに意図はあるのでしょうか。そして、同じく人間の他者にも意図はあるのでしょうか。作中では、アンドロイドの恋人を認めさせる為にエディソン博士とエワルド卿の議論が続きます。そこでは、アリシャの中に見る理想を自己愛が生み出す幻想と批判し、自己愛にすぎないのであればアンドロイドであってもなんら問題ないのではないかとエワルド卿に問いかけ、最後にはアンドロイドと添い遂げることを選びます。

 

 恋人・他者としての人形は、人間と同等かそれ以上に扱われる日が来るのでしょうか。いえ、技術が人形を人間に近づけるまでもなく、昔から人形への愛は人間に対するそれとは比にならないと感じる人も多いはずです。

三体目の人形『船』

2024年作 石塑粘土・ジェッソ・油絵具・PLA・機械

 

 人はこれからどこへ向かうのでしょうか。人は恋人を求め、他者としての恋人を作ってきました。「未來のイヴ」の最期のシーンでは、船に乗り込んだエワルド卿は船火事に遭い命はとりとめたものの、同乗していた恋人を失い失意のどん底に落ちます。この物語のテーマとしては、科学の驚異が超越したはずの自然によってその驚異を失ったと読み取れますが、船はその先に私達を連れて行ってくれるものだったのではないでしょうか。

 他者であった人形から、自己としての人形へ。機械に接続された彼女は、人間が機械を被ることでその頭部の動作と視界を共有します。その過程を経ることで、あなたは自己から他者へ憑依し、その人形を一時的な自己として身にまとうことになります。

 

 その恋が自己愛であるのなら、他者に求めていたものが自分によって実現可能であるのなら、自分の肉体の制約を超えて、何者にでもなれる日が来るのではないでしょうか。がらんどうなその肉体は、私達を乗せる為の船として、操縦者を待っています。

 人間の目から見て他者に憑依する行為はいささか暴力的かもしれませんが、それ自身が生命を持つ人形と異なり、誰かの精神が乗り移ることによって一人として成立する人形のカタチがあるのかもしれません。

各観点での見方

 このテーマで作られた三体の人形について、いくつかの観点から制作の意図を記します。

未来への希望として

 今回の展示でメインとなる人形は『船』であり、人間がこの人形に憑依することで、自分の元の肉体の制約から解放されることを目的としています。その過程として、過去及び現在に位置づけられる二体の人形を作成しました。

 自らのアイデンティティによる苦しみは多数あり、自分が特定のジェンダーアイデンティティを持つこと、骨格や体表のバランス、出自、様々なアイデンティティを思い浮かべた時にそれにまつわる苦しみや諦めが思い浮かぶ人は多いと思います。その中でも特に身体にまつわるものに関して、自分が自分以外になれることを示すことを目的として一体の人形を二年前に作成し始めました。この目的を果たすうえではVRChatをはじめとしたバーチャル空間で好きな肉体を持つことを可能とする手段はあったのですが、現実空間で触れられる肉体に憑依する、そしてその肉体からの視点で他者になった自分自身を見つめる体験を求めていました。

 実際自分が自分を見つめる様子には驚かれる方も多く、展示スペースに鏡を置いたことで、人形の視点で鏡に映った人形としての自分自身を見つめ、さらに右を見たら元の肉体の自分がいる、という経験をしてもらいました。人形としては視界を共有した首が動くだけのものですが、個人で現在制作できるものでさえこの目的を実現しうる事実が、将来の自分やよりパワーのある他人によって自己を超越する可能性を切り開いていけるという希望に繋がると信じています。

 体験された方の中で「おばちゃんだけど、ドキドキしちゃった」と仰った方がいて、そういう可能性を感じていただけるかどうかにかかっている展示としては一つの目的を果たせたのかもしれません。

サイエンスフィクションとして

 キャプションにも記載しましたが、これらの作品はフランスの小説家ヴィリエ・ド・リラダンの『未來のイヴ』に対する疑問をベースにしている側面があります。1800年代当時の視点で、他者としての理想となるアンドロイドを作り上げる姿を通じて、恋人が人間である必要があるかを問いかけます。当時の雰囲気として、電気的な魂を機械に吹き込む様子や蓄音機をモチーフとしてしばしば登場し、最新科学を駆使して人造人間を構成しています。

 これに対する二つの問いとして、まず一つ目にアンドロイドとして完璧なものを作る必要があるか、という点があります。これは現在の人形に表現しましたが、アンドロイド、ひいてはロボットの仕組みの単純化を行うと、入力を感知するセンサ、制御を決める装置、外界に出力するアクチュエータの三要素になります。これらは人間が話しかけるコミュニケーションの形を取らずとも能動的に外界を認知して動作しますが、これらの各要素がいかに進化するかが自分とコミュニケーションをとる他者としてのアンドロイドの構成要素となります。これに対して、一旦はそこまでの経験を作りこまなくてもすでに他者として愛されている存在はたくさんいるのではないかと、単純化した人形を作成した次第です。その点では、ぬいぐるみがポンと置かれているだけで十分かもしれませんでした。

 二つ目の問いとして、他者である必要があるか、という問いでした。作中でアンドロイドと人を区別するエワルド卿に対して、自己愛が生み出す幻想を愛しているのであればアンドロイドでも構わないのではないか、またむしろ現実がただの現実であって、胡蝶の夢のようにどちらを幻とするかを考え直したときにアンドロイドの方を信じても良いのではないかと問いかけました。その点では、自己愛であれば自己が実現しうるのではないか、というのが今回の発端となる疑問でした。

ヒューマン・ロボット・インタラクションとして

 ロボット研究の一分野として存在するHuman-Robot Interaction、あるいはもう少し広げたHuman-Agent Interaction分野では、ロボットやデジタルエージェントといった人間以外の他者が産業分野で工場などの場所でただ動くだけではなく、人間と協調しながらタスクを達成したり、あるいは人間の感情変化や行動変容に与える影響を探ります。

 この分野では、エージェントは自分とコミュニケーションを取る他者としてだけではなく、それに乗り移ってさらに他の人間や他者とコミュニケーションを取る分野についても開拓されています。例えばZoomのようなWeb会議ツールはあくまでツールですが、そこに搭載されたアバターを通じて他者の姿になって会議に参加するとき、そのアバターは憑依する先のエージェントとなります。この背景が思想、技術面共に三体目の人形が作るうえでの参考になりました。

 また、学生時代に研究の俎上に載せられなかった課題として、人形がこのエージェント足りうるか?という課題を持っていました。人形が既存のロボットとの違いを持つ点としては、まず基本的には動かない(絡繰り人形や今回作成したものは除く)点があり、もう一つに造形的に研究で使用されるロボットとは美的特徴が大きく異なります。より美しい人形が、小さな動きをすることで、もしくは全く動かないことでどんな影響を与えるかに興味がありました。

 また、ロボットに他者としてのエージェンシーを期待するかどうかについて、そのセンサの認知能力やアクチュエータの表出能力による期待が軸として議論されることがあるのですが、ことぬいぐるみや人形についてはそれらの能力がないにも関わらず、他者として尊重されてきました。この背景として、それらの能力を「遊戯的に」仮定して信じる行為があったのではないかと考えています。

 これらの想像はあったものの研究として統一的に、統計的に扱う方法を数年前に確立できなかったほか、メッセージをまとめた形で本質をとらえて伝える行為が難しい対象であると感じたので、人形作品のアートとしての表現によって統計ではなく一期一会の個別の体験を重視する形で実現することにしました。この体験を記録するために、個展として3日間で20時間以上在廊し全ての来廊者のリアクションをつぶさに観察していました。

造形物として

 今回の展示は人形の展示ではなかったのかもしれませんが、人形を展示したものでした。その点、上記のようなコンセプトを基にしたこととは別に、見る側の視点では造形物を見る眼差しがありました。それに耐えうるものを作る必要もありましたし、個人的な欲求としてもそれらを作りました。

 過去、現在の人形は木村龍のいおぎい国天使商会に通い始めてから作成しました。その過程で、現在の人形はオーソドックスな球体関節人形として解剖学的な側面を意識したり眠り顔の安らかな感じを求めて作成しました。現在の人形については、肩や肘、手首といった関節が球関節になることで可動域の代わりに損なわれる造形的特徴を残すために、すべてつなげた形で作成しました。また、その腕のアシンメトリーや服の色によって、そのアンドロイドが純白で完璧なものではないと示したく、リアリティも高めた肉体の質感を表現しようとしました。

 未來の人形は実は昨年中に完成しており天使商会に通う前に造形、塗装ともに完成していました。そのため、個人的な趣味での造形となっています。しかし、顔の少し人間らしくない雰囲気や実態の人間より大きな顔、腕のない肉体、ドレスを含めた全体のバランスを見ていただけたこともありました。身体のバランスについては、以前仏像の摸刻の展示を見た時に作る過程で概形の流れ、縦にすっと伸びるような像やどっしりとした胸板のような形について述べていたのをずっと覚えているので、広がったスカートから肉体としてはほとんどくびれていない腹がドレスによってくびれを強調され、腕のない肩周りに繋がり、大きな頭部へと繋がるイメージを持ちました。その中でも腕については、腰骨から下の存在しない肉体におけるバランスや表現すべき対象の不在や人間が憑依する上で操作不可能かあるいは操作できた場合にノイズとなる腕を無くしたことについても、意図が伝わった方もいらっしゃいました。

彼らの実存として

 三体の人形それぞれに対するリスペクトがありました。人形の展示で彼らに他者や自己としての人格、エージェンシーを期待するのであれば、都合の良い扱いをするのはよろしくないと考えていました。もちろん人間には人間の尊重の仕方、人形には人形の尊重の仕方があるので人形に三食食わせろとは思っていません(ガチョウのオートマタなら良いかもしれません)。

 しかし、彼らが彼らの作られた目的、製作者や制作された彼ら自身の雰囲気にそぐわないことをするのは意図に反するため、その目的に即して実存を実現するように意識しました。自分の展示全体の目的だけでなく、彼らの、最小の生命の表現として、人間に反応する他者として、他者の憑依によって成り立つ一体の個として、それぞれの果たすべき目的の為にいきいきと動いてくれることを期待して準備を進めました。そのために、ただの機械ではなく造形的な側面についても綺麗に作ってあげることや、丁寧に扱うことが求められました。

 以前ぬいぐるみ労働組合としてぬいぐるみがいきいきと働くをテーマに習字をして人に喜んでもらう展示をしました。その時も意識したこととしては、出展者、参加者、そしてぬいぐるみの三者が全員喜べる形を作ろうというもので、ぬいぐるみもステークホルダーとしてカウントしてあげる、その思想に基づいて展示をデザインすることが大切だと思いました。

終わりに

 展示やってよかったです。

 まず、展示をやる中でいくつか学びがあり、会期中にも認識を改めることがありました。もともとテーマが上記のようにばらついていたのですが、一日目の終わりにそれを強く感じて友人に相談したり、天使商会の方と最終日に話しながら、コンセプチュアルアートの側面を意識したいことや、実際にそのコンセプトを推しながら人形としての側面も整えるといった建付けを固めて紹介するようになりました。

 また、今回スペースをお借りしたデザインフェスタギャラリー様では海外の方が来られることが多く、作品説明や自分の場合は実際に体験をしていただくにあたって全て英語で説明をする必要がありました。体験の中で一通りの英語を話して三日間で英語を喋れるようになった点も大きいですが、英語で伝えるにあたって簡潔にテーマを表現する必要がありました。学生時代にまず一言でテーマを表現する、階層的に各概念を深堀するという意識を付けていたにも関わらず準備の忙しさで思考が鈍っていた自分にとってはそれを思い出したことが大きかったです。本記事の最初に記載したテーマを英語で短いメッセージとして推敲したお陰で、自分が何をしたかったのか改めて思い出すことができました。

 他にも、人々に報いることができました。昨年末辺りに動く人形を見たいといってくださった方がいたので、展示の場を用意する必要がありました。その後教室に通い教室展も決まったのですが、あくまで自分のテーマとして、表現すべきものを表現する場は必要だったので早めに会場と期間をおさえていました。そして、準備中に展示のことを知ってくださった方々や、苦しみを持つ人々のほんの一部に、報いることができました。

 今回の展示での造形や技術的側面に関しては、真似していただいても構いませんし、積極的に中身を公開しています。今回の目的を果たすために費やした時間を他の人がやってくれることで、自分がこの苦労をせずに済みますし、知は高速化していきたいので、同じことをやってくれるのであれば歓迎です。そもそもの動機として、企業としては近い技術によって近いことを達成できるロボットを作っているところもあるのですが、それが実際の人の役に立ち生活に根付くことを目的としたり、役立つことを目的とされることが多いです。身体障碍のある方が接客をできるようなリモートのロボットなどもあり、それらはとても素晴らしいのですが、自分がやるべきことは個人として、美的感覚などに訴える思想面で収益性の担保も難しいことをやろうかなと思ったというのがあります。まず、人形の造形的美とそのリアクティブな動作を両立してくれる人がいないからやっているというのがあります、ドールロボットのキャストドールのような肉体にもそれぞれの美しさがあるのですが、やはり個人的な趣味としては粘土で作って絵の具を塗った肉体の質感が好きなんですよね。なので、自分がやりたいことがあるなら自分でやり、なければ誰かに賛同してやっていきましょうと常に思っています。

 最後に、どこかでまた展示をすることになると思います。今回の人形たちは身体的に負担がかかり、当時の塗装方法からしてこれ以上展示をしたら壊れてしまう懸念があったり技術的にもいつまで残せるか分からない部分もありますが、またどこかで、今回と同じテーマか、今後思ったことを表現する機会を作るので、どこかで出会えたらと思います。