表題の通りです。
突発的に二週間後の旅行が決まり、打合せの中で川端康成『古都』に登場する北山杉を見に行くことになりました。しかし、原作を読んだことが無かったので、打合せ中にAmazonを開き翌日に本が届き、その後三日間で読みました。残りの一週間で他の同行者に読書スピードによっては4時間で読める為現実的な読書であることを伝え、全員が読んで来る異常読書集団の集まりが完成しました。
『古都』のあらすじを引用します。
『古都』(こと)は、川端康成の長編小説。古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた川端の代表作の一つ。老舗呉服商の一人娘として育った捨て子の娘が、北山杉の村で見かけた自分の分身のような村娘と祇園祭の夜に偶然出逢う物語で、互いに心を通わせながらも同じ屋根の下で暮らせない双子の娘の健気な姿が、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、切なく可憐に描かれている。
Wikipedia内の解説や作品評価・研究も面白かったです。川端と言えば以前『片腕』のあらすじを聞いていいわねぇと思ったりしたのですが、夢想的で女性を理想化した純粋な眼差しを軽やかなリズムの文体でオブラートに包みこんだような会話文の多い文章で読んでいて楽しかったです。現代の創作における分かりやすい舞台の転換や一言で簡単に説明される場面ではなく、感情の揺れ動きや文全体から伝わる情景描写、登場人物のメタファーを文章を読み進める中で経験するのは心地よかったです。余談ですが、創作物の話を沢山する中で、素直でまっすぐな人間が創作においても現実においても好きなことを思い出したりしました。『純潔のマリア』のマリアとか分かる人いるのでしょうか。あとは『うみねこのなく頃に』のベアトリーチェは…全く素直ではないですが素敵ですね。
話は変わって若い頃の話になりますが、本をほとんど読まず、特に小説は年に一、二冊読んだ記憶がある程度です。実際にはもう少し読んだかな…と思い返すと山田悠介は『リアル鬼ごっこ』を含め何冊か読んだかな、とか本屋でふと見つけて買った『ジョーカー・ゲーム』や『水の棺』は読んだなぁといった感じで、心理描写に力を入れているモノでも、物語の展開の中で揺れ動く心理で、情景と感情が融合しているものは私の読んだ本の中では少ないように感じました。最近梶井基次郎もいくつか読みましたが、そういった素朴な表現をする文豪の作品の魅力に気づいたりしました。
思い返すと、国語便覧があまり得意ではなく、大学時代の友人は大概小説を読むかソースコードを読むのが好きな人間のようだったので結構浮いていたのかもしれません。国語便覧のあらすじはなんとなくわかるものの、名作の中にも分かりやすい展開ではなく細かい描写に宿る良さが多かったのかもしれない為、今それらを読んでから国語便覧を詠んだら紹介されている作品達にもそういった詳細があることに思いを巡らせることができるのかもしれません。それに私が若い頃はインターネットも発達しておらず創作物の楽しみ方を知らなかった為、山月記も学びがあるなぁ程度に読み飛ばしていました。あれはテストの点数を取る為の30文字程度の感想を考えていただけだからかもしれません。
一方で、阿部公房『鞄』は記憶に残っています。高校三年生の頃に担当になった国語の先生が阿部公房好きで、阿部公房が好きな国語教師にろくな人間はいないので馬は合わなかったのですが、多分今教師ではない人間として出会っていたらもう少し仲良くなれたかもしれません。物語の指し示す一般的なメッセージに共感を示すようになったのが最近なので、本を読むのが楽しくなってきた気がします。
大学二年生の夏まで、「この世に大量に存在する知識や本を全て手に入れることができない絶望」によって本当に本を全く読まず雑学を少しつまむ程度の人間だったのですが、当時Twitterでフォローしていた方で本の虫で岩波を揃えていた人がいて、仕事の関係で中国に移住するにあたって本を売りに出すとのことで話を聞きたい一心で会いに行きました。哲学に造詣が深く当時の自分には分からないことも多かったのですが、理論的な話ではなくとにかく本を読むべきだと感じ、大学の図書館に閉じこもるようになった時期があります。理解しきれなくて途中で手放すことはあっても、とにかく借りて読んで、というので結局大学院までの6年間で400冊くらいは借りて、200冊はろくに読めずに返した気がします。そういったインフラがあった生活も懐かしいですね。
小説や創作物に影響を受けて何か感じ取ることが少なかったのですが、そういった点ではTwitterに助けられたかもしれないです。あまりよろしくないですが、漫画の考察や感想が流れてくる中で、こう楽しめばよいのかと気づくことが多かったです。鬼滅の刃の考察やちいかわのアングラな楽しみ方、それこそ山月記のミーム化も捉え方には変わりなく、そういった態度の是非はともかくとして創作物から何かを得て良いことに気づいてから考え事の質が変わりました。二年ほど前から触れているTRPGの影響もあります。ショートショートはいくつか書いたことがあったのですがそこではあくまで舞台装置としてのキャラクターを描いてしまいがちだったところを、キャラクターシートでは自分のロールプレイしたいキャラクターを考えることになる為、ある程度筋書きはあるがそれを自分が知らない物語で動いてほしいリアルなキャラクターを考えることになります。それこそ、舞台装置ではない、物語を進めるのに都合の良いだけではないディテール、感情を持った人間を考えるようになったことで、創作物を生み出すことと受け取ることの双方向につながりが生まれたことで結構人生に面白みが増した気がします。この前1PLシナリオを回った時に肺病を患った小説家の青年でロールプレイしたのですが、人生の重要な局面においては詩を詠みたいという気持ちで振舞っていました。自分の人生も喜劇でも悲劇でもロールプレイのような粋を常に意識したいなと思いました。