ふと、雨の匂いや本の香りから懐かしい記憶を呼び起こされることがあります。何となく、図書館の情景が思い出されるな…と思ったのですが、そこで終えず、もう少し解像度を上げてその郷愁を思い出していきたいと思ったので、思い出していきます。
本の記憶だと、小学校の図書室が思い出されます。小学校の三階にあり、偶に夢を見るときは図書室に行くか職員室、向かいの棟の空き教室あたりに行くことが多い気がします。この前みた騒ぎの起こった学校から抜け出す夢では、騒ぎの後で恐らく亡くなったであろう自分が教室に戻りながら、図書室に寄っていた気がします。階段を登っていかなければ行けない場所にありました。
小学校の図書室は入って右手にミッケ!があり、その辺りにあった座れるスペースは常に込み合っていました、ミッケ!は人気でした。入って奥に進んだ先には漫画があったのですが、はだしのゲンがあって結局怖くて一度も読めませんでした。小学五年生の時、戦争のイラストが渡り廊下に並べられていて、夜寝る前に思い出して初めて死の恐怖を覚えたような気がします。読んだ本は意外と覚えていないのですが、狭いいくつかの棚に本が詰まっていて、読書の時間には一クラス全員が着席して本を読んでいたのは懐かしいです。そう、こういった解像度で過去の記憶を呼び覚ます時間を作りたいのです。
中学校の図書室は二階にあって、スラムダンクが揃っていました。結構勉強の本もあっていくつかの分野で手に取っていた気がします。小説はあるほか、ライトノベルが置かれていて当時付き合いのあった人はライトノベルのオタクが多かったので自分は読まなかったのですが、その一角を偶に思い出します。図書委員の副委員長を務めていた時期もありますが、自分は本を読まず、受験期には皆で勉強をしたのが懐かしまれます。結局地元のある程度の高校に進学し、予後はあまりよくないですが、あの時間は結構楽しかったかもしれません。
本といえば、中学生の頃同人誌に出会いました。昔は自転車で行ける距離の大きな駅の周辺に同人誌を売っている建物がありました。1,2階におもちゃがあり、三階が同人誌コーナー、当時はあまりアニメも知らなかったのですが、その重厚な匂いに惹かれて入っていきました。それを共有できる友達はおらずSNSもやっていませんでしたが、そういう時間が好きでした。高校生になってアニメを大量に見た時期があったので、その後はアイドルマスターやまどマギ、東方をはじめとしていくつかの作品の同人誌を買いました。当時は向こう側に作者が居て即売会がある事は知らなかったですし、創作への人の想いにも気づけていませんでしたが、自由に妄想を描く姿に思いを馳せ、同人誌が200冊くらい自宅にあります。幾らか処分してしまったのですが、思い出に残る作品も結構あります。初めて買った作品は初音ミクのイラスト系のもので、ファンシーなイラストに惹かれました。
本から少し離れると、同人誌が置かれていた店の近くにカードショップがあり、お金がないながらも遊戯王のカードを買っていました。中学校の部活の同期でたまたま本の虫のやつがいて、その後ドグラ・マグラや魍魎の匣を勧められるのですが、彼と共にゲーセンのアーケードゲームをやっていたので、そのカードも買いました。結局自分はあまりプレイしないままスタン落ちというかゲームシステムが変わってしまってやらなくなったのですが、そのゲームは神話生物や色んなゲーム作品のコラボキャラクターが登場していて、魅力的だったので画集も買ったりしました。
高校の図書館はプレハブ校舎だったため狭かったのですが、坂道のアポロンを読んだのが印象的でした。素敵な話なのですが、恋愛模様の中でもつれていくのが若い時分には見ていて辛いもので、今でもあまり読み返す気持ちになれていません。中学高校と共に図書室には結構思い入れがあります、他にも色々。その頃世の中に存在する知識、そしてその象徴である本が無限にある事に気づいて全てを読めないことに絶望して本を読まなくなりました。時折思い返すのですが、大学生になってから岩波文庫を読みまくっている本読みの凄い人に出会い、そこからできるだけでも読もうとして大学の図書館で400冊くらい本を借りて結局200冊くらいしか読めなかったりしていました。
魍魎の匣は実はコミカライズで読んでしまったのですが、ドグラ・マグラは小説で全部読みました。一度京都への18切符旅行の道中で読んだのですが、7時間半ひたすら移動しながら電車であれを読むのは精神に悪かったようで断念し、後で読み返しました。結局珍しく2周もした小説です。本を読むのが遅いので、そんなに読むことは稀です。今は未來のイヴを読み返していますが、結局他の本も読んだりで5年ぶりの読書が6年ぶりの読書と呼べるようになってしまっています。時が経つのは早いですね。
大学の図書館はキャンパスも大きい総合大学の為大量に本がありました。日吉には学部の若い人向けに各分野の本があり、泣きながら勉強したり本を読んでいました。一度だけ地下の書庫をみて良い気持になりました。湘南藤沢キャンパスは近所だったので、一度に8冊くらい本を借りたりしていました。最新の本や情報系の本が多かったので、結構通っていました。数学や脳科学にちょっぴり興味を持った時などは重宝しました。三田キャンパスには哲学の本を探しに、丁度地下にそういった本が多かったので散策したりしました。色んなキャンパスを巡る中でNDC(日本十進法)を覚え、番号で本の分野を意識しながら歩くのが楽しかったです。007, 600番台に情報系が分かれ、000には総記・文庫系、755に人形、400に生物や数学、300の社会学はあまり見ていなかったかもしれません。140番くらいにギブソンのアフォーダンス理論に関する本があったのを思い出しました、しかしアフォーダンスとか就職してから聞かなくなってしまって、この二年半でもう大学の頃に好きだった知能や認知科学、ロボット、それらに関する感性に関する話を大方忘れていて恐ろしいです。この頃から書店にもよく行くようになりましたが、書店では売り上げの為の工夫がされていてNDCではない方法で本が並べられています。それもまた一興ですね。渋谷の丸善がなくなってしまったのが悲しいですが、東京駅の丸善が今でもあるので、そこに行ったことは良い思い出です。
大学生の頃は一時期京都にいたのですが、丁度国会図書館の西の建物があったので、何回か通いました。地下にある空間で、人工知能学会誌を見たり、いくつか本を読んだり。当時哲学サークルへの寄稿の予定があったのですが、文献が必要とのことで自分の大学から取り寄せられないので探した気がします。確か藤田さんの人形愛の精神分析なのですが、結局一度東京に帰ったのかなぁ、思い出せません。近くにあったスーパーはあまり大きくなかったのですが、オライリー等の技術系の中級車向けの本があったり妙に学術向けに強い並びで驚いたのを覚えています。一応学研都市だったんだなぁと思い返しています。
社会人になると、お金はあるので本を買いました。初めの頃は社会に反抗する倫理学の本を読んだりしていましたが、次第に技術書も読めず評論も読めず…という有様です。なぜ社会人になると本を読めなくなるのか、そういった本を読む時間は何とか取れました。生きているうちに何冊本を読んで、何回本の詰まった空間の香りを嗅いで、何度こういった記憶を呼び起こせるんでしょうね。
本の話が続きましたが、最後にこの文章を書こうと思ったきっかけの作品の話をします。『うみねこのなく頃に』という作品がとても好きです。中学生の頃、仲の良かった友人にひぐらしを勧められ、ブックオフを二人で回りながら漫画を漁りました。結局漫画は後半を揃えるのに断念してアニメで見ました。そういえばブックオフにかなり通っていたのも懐かしいです。その後、うみねこの話も聞きます。うみねこは今でもアニメが前編しか放映されておらず後編が当時はPCノベル、PSP版辺りしかなく、じぶんがまともにアクセスできる環境ではありませんでした。志方あきこさんの楽曲をはじめ、うみねこの音楽は悲しい気持にさせるものが多く聴くのに覚悟がいります。結構音楽を聴くのに覚悟がいることが多く、歌詞で色々想起されるものもありますが、曲調でダメになってしまうことも多いです。
長い間うみねこは前編だけ知っていて、ベアトリーチェに魅了され、少し同人誌を買ったり番外編で内容を少しかいつまんでいました。そして、全てを知る機会を得ず10年近く時が経ちました。知らないけれども好きな作品を知る、猫箱を開ける覚悟ができなかったのです。もう三年近く前になりますが、Switch版のうみねこのなく頃にを満を持して購入し、修論の時期に平行しながら100時間ほどでプレイしました。内容の重さもあり精神に悪い影響を与えたのですが、素晴らしかったです。もう一度見たいのですが、時間をとることと心へのダメージを懸念してまだ覚悟ができていません。最近TRPGを経験しても思うのですが、創作物でも現実でも感情が動かされるものに対する耐性が弱いので、それを望みつつも得られない苦しみの中で生きています。丁度その後にステージでの公演が始まり、最初のエピソードを見て感動しました。しかし、苦しみの中で次以降のエピソードを見られずにいる内に前編の公演が完了しました。思い返してみると、うみねこも東方もはまっていた時期に語り合える友人がいなかったのが思い出されます。うみねこは当の友人と高校受験の前には接点がなくなってしまい、東方は一人孤独にプレイや二次創作の享受を数年間続けていました。唯一ボカロだけは中学から高校にかけて皆で楽しんでいました。話はそれましたが、長い時間をかけて過去の記憶や気持ちが今につながっていることを感じました。
そんなこんなで、うみねこのなく頃にに対する気持ちを思い出しながら、やはり人は過去によって構成されているな…と感じたりしました。うみねこのなく頃にの話はまた別の機会にしたいと思います。これを文字にするだけでも一苦労ですが、今までもこうやって文字に書き起こすことで何とか自分の外に気持ちを手放してきたので、続けていかなければいけません。
お疲れさまでした。