人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

植物と動物の境界を超える

はじめに

動物と植物の違いを考えてみる。植物はその場で動かないように見えて、実のところその見た目に反して身体を動かし、積極的に栄養を求めたり成長し身体を肥大化させる。

動物との違いとして、高度にパターン化され、かつ機敏な動きを持たないことは挙げられるだろう。例えば、ハエトリグサやオジギソウは人間が数秒間も駆使しただけでも分かる動作を行いうるが、これはシンプルな反射であり、シンプルな入力に対するシンプルな出力でしかない。

また、大きな違いとして個体の区別という観点も挙げられる。動物においては一体、二体と数えられる場合が多く、特に人間やマウスのようなある程度大きな種であればその個体は多くの細胞から構成されつつその内外の隔たりが明確である。その一方で植物は表面上二つと数えられそうな茎が根元でつながっていたり、切断された茎を別の場所に植えたら新たな個体となったり、逆に二つの個体が成長につれて一つにまとまったり、あまり区別されていないようにも見える。その身体の形が明確に定められておらず、成長とともに非常に大きく変わる。

そこで、機敏な動きと身体の内外の隔たりという二つの観点から植物を動物足りえる存在に仕立て上げよう、というのが本稿の趣旨である。

構成を考える

機敏な動き

植物を動物にするといっても、動力が無ければ機敏な動きを行うのは不可能である。まずこの課題を解決するために電気的動力を導入することにした。平たく言えばモータに電気を流して身体を動作させる。

しかしただ身体が動いていることに意味はなく、生物としての欲求に基づいた動作をする必要がある。動物を例にとると、人間では五感と呼ばれるものであったり蝙蝠は超音波を入出力に使用するなど、入力のパターン及び出力のパターンは多様に考えられる。

ここでは、内的な身体感覚、より具体的には”空腹”とその充足を入力と出力のパターンとして用いることにする。一般的に動物はエネルギーを消費して活動を行う為に、定期的に捕食といったエネルギーを充足するための行動をとる。そしてその背後に、空腹を感じることが前提として存在する。勿論人間のように習慣が存在していれば論理的思考に基づいて空腹感を伴わずとも捕食行動を行いうるが、基本的には空腹の後に捕食が来る。

では、植物にこの一連の流れをどのように再現するのか。まず、空腹について、植物は多くの種において太陽光・酸素・水を必要とする。これを電気的にセンサとしてより身体感覚に近い形で取得するのであれば、水が適していると考えられる。というのも、水はちょうど空腹に近い対象で、その充足のためにモータを稼働させることで捕食行動を行うといった容易に想像できる対応付けが可能になる。勿論太陽光の有無を検知して太陽のある場所に移動することも考えられるが、それを行うには高度に計画された行動が必要になる。向日葵も太陽の方向にその花を向けるが、それも自身の位置から観測可能な入力を選び取るのみで自発的な行動によりその入力を変化させるようなことはない。

内外の隔たり

これは明確に定義することは難しいが、細胞に細胞壁があるように、人間に皮膚があるように、プランターをもって内外の隔たりとすることを検討する。植物はその土壌と密接にかかわりあっているため、この二つを区別することは難しく、そこに紐づくほかの生物も共同体として存在しうるが、概念を実装する上での最初の段階として、まずはプランターを内外の隔たりとし、土壌、植物、そしてその身体感覚を記録するセンサ及び捕食を行うためのアクチュエータをその身体の内とする。

作ってみる

システムの全体図及び各モジュール

カメのような身体で、空腹を充足するために水を自らの身体動作によって捕食する。

身体感覚の入力として、土壌水分センサを使用した。これは地面の中に挿すことで水分量によって変化する抵抗値を記録するものである。出力としては、首をもたげる為のサーボモータ及びその首から水を吸い上げるポンプを使用した。最後に、入出力をつなげる過程にはArduinoを使用した。

コード自体はシンプルなもので、常に土壌水分センサの値を記録し続け、その値が一定値を下回った場合に首を降ろして一定量の水を吸い上げる一連のアニメーションを実行する。これによって生命を維持する。

入力ー思考ー出力の流れ自体は昔ながらのロボットの典型的な行動様式であり、ロボットとしてはかなりシンプルな構造だが、アルゴリズムによって定義づけられた内発的欲求ではない、現実世界の身体感覚を用いた現実世界に開いたインタラクションである点にはある種の面白さがあると考えている。

終わりに

いかがでしたか?皆さんも様々な境界を超越して既存の世界を構成する枠組みを転覆させるための手を打っていきましょう!