結論から述べると,研究生活を続けた方が良いのか分からないし,大学院に行くべきなのかどうか悩んでいる.
大まかなやったこと
4~7月
研究室配属後,7月末までは講義があったので大学に通っていた.この時のタスクとしては,講義・自分の興味対象の模索・輪講・卒業研究の準備を行なっていた.
卒業研究の準備に関しては,関連研究のサーベイと仮説に関する検証などを行なっていた.諸事情でリモートで作業するのが難しいことと他のタスクの兼ね合いによって,週5で研究室にいた記憶がある.*1
8~9月
京都に移動.院試と研究室の合宿で一時的に京都から離れていたが,基本的にはひたすら実装を進めていた.
実装の詳細は述べられないけれど,システムの規模が大きい上,実装面で方法を模索する必要があり,それなりに苦労した.*2 ベストプラクティスが分からず複数の手法を試しながら進めていたので,本当にこの方法でシステムが実装できるのかといった不安もあったが,時間と知識があれば,高いレイヤでの処理は案外力づくで実装できる気がする. *3
10~11月
予備実験及び,それを元に実験の方法や研究全体の構成など考え始めた.サーベイを少ししていたとはいえ,これまでは殆ど実装屋のような仕事ばかりしていたので,ようやく研究らしい活動が始まったと感じた.
研究が初めてかつ全容が見えていなかった為,個人的に一番苦労したのはこの時期だと思う.全容の把握に加え,仮説の構築や検証方法を考えるプロセスを知らず枠にはめられなかったことと,非常に丁寧な観察が重要であることが大変だった.
少なくとも,僕には妥当ではないと直感的に感じたものをそう説明し説得するだけの能力が無かったので,議論をするのが難しかった.また,この時点で体力的にきつい時があり,睡眠時間が足りないとろくに頭が働かないことは感じ始めていた.
12~1月
実験と卒論の執筆をしていた.ひたすら実験と卒論の執筆をしていて年末年始を除き休みが無かった為,体力的にも精神的にも非常に厳しかった.
実験に関しては,実験場所がお家から離れていたことや時間がかかることが要因となり,体力をごっそり持っていかれた.学部1~3年次でも多少無理をしていた時はあったが,"時期"レベルでこれほど体が悲鳴をあげたのは初めてだと記憶している.
卒論の執筆に関しても,論理的な文章を構成することが苦手な為,非常に苦労した.遂行する中で構成や内容自体が変わることもあり,無駄のない文章は難しいと感じた.見ていただいた方々には感謝しています…
そして,睡眠及び休息が不足すると頭が働かなくなるなと感じ,後半はもう何も考えられていなかった.一応倒れてしまうと実験を行えなくなってしまう為セーブしていたのだけど,セーブした為にギリギリまで追い込めなかったこともまた事実だった.*4
良かったこと
実験システムの実装の中で多くの技術を使用し,少しばかり知識がついたことは経験としてとても良かった.
研究として一通りのプロセスを過ごし,読んでいただけでは分からない論文中の実験の雰囲気*5を感じることができたし,どのようなポイントに気をつけているかといった点まで目を向けることができた.また,仮説を構築するプロセスも重要で,観察と考察を夜うなされて目が覚めるほど深くしたことは良い経験だった.研究の難しさと共に,コアになる部分だと経験によって強く認識することができた.
良くなかったこと
無理をしすぎた.少なくとも,休日なく1日12時間を越えて活動すると人は体力的にも精神的にも壊れるらしい.休んでもあまり頭が働かなくなった気がするし,精神的には結構壊れた気がする.*6 *7
ベストエフォートで限界まで愚直にリソースをつぎ込む方法は良くなかった.疲れていると頭が働かないが,思考タスクが多く効率が悪かったと思う.また,研究の外観をきちんと掴んで枠にはめて進めていればその都度"今何を考えるべきか"が明確化されて,進めやすかったと思う.ただ,その発想に至らなかったし,至るほどの余裕がなかった.
一年近く経った現時点で感じたこと
ここから少し趣向が変わります.また,以下の内容は現時点での僕の認識であってそれ以上でもそれ以下でもないです.また,今考えていることは何か発見があれば180度くらい転換することもあるので,そうなると良いなと思っています.
まず,寿命を縮めるような研究生活は良くない.寿命が縮まる以上に,頭が働かなくなるほどに稼働するのは効率の悪化につながる為,趣味を行う程度の余裕のある生活の中で研究が行う方が良いと感じた.研究に対する努力は無限だけど体力は有限なので,折り合いをつけていく必要がある.
次に,研究が果たして信用できるものなのか分からなくなってしまった.これについては数ヶ月ずっと考えていたが,経験や聞いた話も含め,自分には判断がつけられないが少なくとも信用できると言い切れないものだと感じた.背景として,僕は人間の行動やインタラクションのモデル化に興味があった.
ただ,これを行う上で研究が信用できるのか分からなくなってしまった.その理由の一つに人間の活動は非常に複雑なことを体験したことがある.仮説として建てたものが証明されても,本当にその要素が効いているのか自信がなくなってしまった.
また,どれだけの研究が正しく進められているかが分からなくなってしまった.例えば,機械学習系の論文で新しいモデルを提案して精度が上がったと主張したものがあって,実際論文に明記していないパラメータが効いていたといったことは時々あり,追実装して実験すると再現性がない事もある.実験系でも,p値ハッキングらしいことが実際に行われているのを周辺で聞いてしまったし,案外普通に行われうるものだったのかもしれない.p値ハッキングに関しては,恣意的なものでなくとも無意識のものもあり,正しいかどうか見極める個々人の能力にも依存しているのかなと感じた.少なくとも僕自身の研究の評価手法が妥当か判断できない.
理論系の研究の根拠は論文中の理論に書いてあるが実験系の研究の根拠は実験にあり,論文中に記載されていない実験条件に原因が考えられてしまう上,その都合の良さを利用する人がいたら信用できなくなってしまう.また,これを査読者がパッと見て適切にrejectできるかといえばNoだと思うし,正しさが機能していない.
実験系の研究に対する気持ちが生じている中,理論系を勧められることがあったのだけど,僕も面白いかなと思っている. 輪講で比較的理論に寄ったもの*8を扱っていて,体系的に学んだわけではないし表面だけしか捉えていなかったが,とても面白かった.
ただ,それは学ぶことに対する面白さであって,自分が新しく発見したいものではない.元々研究で機械学習の理論系に興味はあったけど*9自分で発見したいことはインタラクションや人間のモデル化であって,これら以外は研究としてやる必要は無いのかなと思っていた.
僕は解釈が好きなので研究をしたいと思ったが,まず結果を出すことが大事で結果に対する解釈は二の次といったことであれば,研究ではなく一般企業で結果として出てくる何かをしたい.
何も分らなくなったので泣いている.
*1:床で寝る場合は柔らかい方が良い,といった知見を得た
*2:コンピュータサイエンスの全ての分野に精通していればスムーズに進んでいたと思う
*3:ROSを実践的に使用する機会があった他,実装を完成させる為にいくつかのソフトウェアの公式ドキュメントを隅々まで見て機能を探したのは開発としては良い経験だったと思う.
*4:"研究に対する努力は無限大ですよ…!"と念じていたが,人間の体力は有限だったことに途中で気づいた.
*5:経験したものは1ケースかつ大分特殊なので,雰囲気を感じたと言い切れる自信はない
*6:元から壊れている
*7:直截では無くとも応援してくれる人がいたことが支えになっていたので,とても感謝しています.
*8:Word2Vecの双曲空間への埋め込みについて.多様体だったり情報幾何学について調べていた
*9:身もふたもないことを言うと,理論研究をするような能力が無いことも要因としてある.