人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

学び方を学ぶ

 人形教室に通い始めました。

 3年ほど前人形を作り始めた時に最初の子を作る際に通っていた教室があったのですが、そちらとは別の教室になります。当時は丁度コロナ渦で緊急事態宣言が出たらいけないかもといった不安もある中通っており、何とか一人目の子を完成させたのですが、大学が忙しく中々行けなかったり、教室に行ける曜日もばらばらで中々コミュニケーションが取れなかったこともあり、結局行かなくなってしまいました。

 そこから2年以上空いて、その間数か月3Dモデリングやネジを触っていた時期もあったのですが、独学で人形を作っていました。人形を人とコミュニケーションをとれるようインタラクティブに動かすことについて考え自分で一から作れるようスキルセットを揃えていたのですが、やはり造形に関しては課題だと感じていました。

 そんな折に教室見学に行かせていただく機会があり、丁度手持ちの胴体があったので持っていって話を伺うことにしました。見学と言いつつ4時間くらい作業してましたが…そこでの作業の進め方が印象的で、入会することに決定しました。丁度この前初回で行ってきたのですが、学び方を学ぶことについて思うところがあり筆を走らせている次第です*1

 見学と初回の進め方ですが、僕は一通り作業用の道具を持っていて何体かすでに作っていたので、かなり造形寄りの話をしました。最初に胴体のバランスや肉の盛り方が不自然な箇所の説明をもらい、胴体にペンを入れ、削り、そして盛ります。印象的だったこととして、教室に電気コンロが無いので一度盛ると暫くヤスリを入れられない為、まず削って盛る、といった流れになります。これは中々もどかしいのではないかと感じたのですが、敢えて観察をよくするようにしました。胴体を良く眺め、なぜこの凹凸になるのか、筋肉はどうなっているかということを考えるのに長く時間を使い、そして調整をする、といった流れで数時間使うことを試してみました。そして先生の説明はかなり具体的で、ここにこの筋肉があるからこうなる、といった説明を簡単な模型や本と共に説明してくれて、それを解釈します。

 オタクは解釈が好きなので納得するまで質問して、ひとしきり理解した気になったところで筋肉の流れや骨の出っ張りを粘土に書き込んでいきます。今までこれを一人で短いスパンで行っていたのですが、あまり急いでも肉体への理解が少ないと最終的な造形のレベルの高みに登れない為、急がば回れという言葉を心で理解した気になってきました。こういうのは言われても理解できないので体験する必要があるんですね。

 タイトルに戻り、学び方を学ぶという話ですが、僕は美術解剖学の本を何冊か購入して偶に眺めていました。ただ、それを造形に活かすことができていなかった、という点で造形ができない状態からできる状態へ遷移するための方法論を理解していなかったことになります。実際、眺めていても何をどうすれば良いのか分からなかったのです。しかし、先生に教わることで気づいたのが、抽象的な話として、今何に集中すべきかを指定されることがあります。例えばまずは肋骨のバランスがおかしいのでもう少し長くしてみる、といったことに集中すると他の箇所はひとまず無視して進めることができます。そしてある程度整ったらそこに乗る胸の筋肉や脂肪を意識していきます。といった次第で進めていくと、今見るべき箇所について図表をぱらぱらと見ているとなんとなく輪郭が浮かんできます。観念的なものは言語で語られて言語で整理されるので注目すべき箇所が分かりやすくその概念整理も捗るのですが、何分物理的な肉体はとっかかりとなる注目の観点が無かったので、説明による解釈が可能な形式知に持っていく段階が難しかったので、そのとっかかりを得られたこと自体が大きいように感じます。まずとっかかりが分かれば、あとは一生それを深めていくだけですね。

 そして、もう一つ重要なの点が、テキストをどう解釈するかです。例えば数学だと最初に定義が与えられて、それに従って定理が導かれ演習問題を解くといった構成の書籍があります。僕は数学に疎いのですが、これを理解するためには定義を良くかみ砕いて一ページずつ完全に理解していく方法と、演習問題や定理を見て演繹的に最初の定義の輪郭を形作っていく方法があります。両方あると何も言っていないようですが、これのどちらかに比重を置いてみる、というのが学び方になります。美術解剖学の本だと、それを眺めた時に筋肉の名前や骨のつき方はなんとなくわかるものの、どこをどう理解するべきか掴みどころがなかった印象があります。しかし、造形においてはボリュームを形作る作業だと思っていて、以前読んだ本では葉っぱを立体で作る場合にそれを表裏の表面だけの存在ではなくあくまでボリュームの突出部として表面が存在する意識をする旨が紹介されていました。同様に、人形の造形をやる上では、それぞれ名前を覚えるのではなく、どの骨が、どの筋肉がどんなボリュームで存在するのか、ポージングでどうその形が変化するのかに注目することで理解が進むことに気づきました。

 こういった、何に注目するべきかを知ることが、学び方を学ぶことだと考えています。具体的な学びについては、本を眺めても良いですし、詳しい人と対話することで更に理解が進む感触があります。気づきとしては、結構骨や腱、筋肉は重なり合っていて干渉しあっているというのもあります。前鋸筋というわきの下ののこぎりのような筋肉があって、それが肋骨の6~10番目とクロスするように存在するのですが、これは肋骨とクロスしているだけではなく、横っ腹に存在する外腹斜筋とつながるようなイメージになります。そして、前鋸筋の上には広背筋が重なり、恐らく筋肉の発達した人であれば前鋸筋が少し広背筋を押し出すことで凸部になります。広背筋はとても広く腕の付け根付近から背中にかけて回りこむような形で筋肉がついており、背骨周辺に大きな腱が存在します。丁度背骨の上にいくつか筋肉がある事もあって、この腱の辺りが凹部となるようです。他にも、肩甲骨の肩峰と呼ばれる部分は太っている人でも出っ張りやすいことや、烏口突起と呼ばれる突起は小胸筋や烏口腕筋を支える等、それがどう機能するか理解することで、関係として物事を理解できるようになったことが大きく感じます。この辺りはソフトウェアの設計や電子工作の本で思ったことなのですが、物事を解釈する場合には、まず存在するものの一覧、次にそれらの関係、最後にそれぞれの詳細を階層的に理解することで体系化できることが多いと感じています。特に造形で意識するのは骨、筋肉、脂肪、そして関係として骨の上に筋肉が被さったり筋肉の薄い部分が凹部になったり、最後に脂肪はどんなつき方をして態勢によってどう変わるか、といった詳細を理解する、これを全てにおいてやることが造形の理解の方法の一つだと解釈しました。

 長い道のりになりそうで、造形もやる、生命も与える、両方やらなきゃいけないのが自分の求めるものの辛いことだなと思いつつ、このプロセスを繰り返して精緻化していくこと自体はまだ楽しいのでやっていきたいですね。よく美大の話で観察に何時間も使うみたいな話を聞いたことがありますが、あまり竹べらを持たない作業の仕方というのも新鮮で良いものかもしれません。晩年の宮本武蔵は刀のイメージのみを持ち実際の刀を握らない無刀の境地に至ったとグラップラー刃牙シリーズの刃牙道で紹介されていましたが、そういった境地に達したいものですね。

 

*1:現代の筆は叩くとカタカタ音がします