人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

ロボットと生

ここ2,3ヶ月ロボットと病める時も健やかなる時も一緒に過ごしてきた*1けど,生物らしさを感じたかというとそうでも無かった気がする.

 

まず,感じたこととして,生物らしさと知的かどうかは別だなと感じた.

僕が使用していたロボットは人型ロボットでモータを用いた移動及び音声合成による発話機能を備えていて顔面も付いていたのだけど,デザイン的には十分人らしさを感じる部分があったと思う.*2

知的かどうか

これは能力に依存している.一般の人を観察する限り,ロボットが喋るには喋るので高度な会話を期待しているのが見て取れた.僕自身簡単な対話プログラムでも仕込んでおいて顔面が付いているロボットが話していたら知的だなとは思うし,状況に限定すればそれなりに良い対話ロボットとして機能するなと感じた.

その点で,ジェスチャや移動といった身体らしさは画面上の対話よりリアリティがあり身体のある知能っぽくてとても良かった.少なくとも対話感が現実の人並みのバーチャルエージェントが普及するまでは,ロボットは役に立つ気がした.

人形に関しても言われることだけど,現実世界に身体があることは重要で,人間にとっては身体があるロボットは近い遠いの定義ができて触れたりできるし,逆に身体がなければ触れられないという制限があるのは印象として大きく変わる.

生物らしいかどうか

では,生物らしいかどうか考えてみると,そうでも無かった気がする.どの程度のものを期待するか個人差が大きいためあくまで僕の感想だけど,インタラクティブでは無い点と僕が知りすぎている点が効いていた気がする.

無生物でも生物でも,生物らしさを感じる要素はリアルタイムにインタラクティブなコミュニケーションを取れることと動作の予測がしづらい点にあると思う.「こんにちは」と話しかけた時に微笑んで「こんにちは」と挨拶を返すのを見た時確かに自分に反応していると思うけど,適切な間があって,早すぎたら画像認識でもしてパッと反応してるかなと思うし,遅すぎたら条件判定でもしてるのかなとか疑うし,生物が反応するらしい間があってその範囲から外れると違和感が起こりそう.

それに,僕は中身も喋る条件も知っていたけど,それらしいタイミングで発話していても,合成された音声がPCから出ていると思うとただプログラム書かれてるだけだなって思ってしまう*3.でも,これは知的かどうかと別に生物らしいかどうかに寄与している.

パターンを予測できてしまうことも生物らしく無い点だったなと思う.再三言うけど僕はプログラムの挙動を大凡知ってる*4のでこう動いたらこう反応する,と大体わかる.自分の行動に対する反応が完全に予測できてしまうととても機械的に感じてしまうので,時々予想外の動きをする方が良い.これはよく言われてることなので何となく知識として存在していたけど,実際に触れてみて感じたのは大きかった.*5

生物が生きているかどうかって結構非自明で,どうみてもぐちゃぐちゃになってるなら流石に死んでると思うけど,ちょっと息してないくらいだと生きてるか死んでるか分からない気がする*6

ロボットを見た時,バッテリがすっぽり抜けていても「これはちゃんと充電すれば動き出すから生きてる」と感じて,制御用のPCが無い時は「これは動かない!死んでいる!」と感じた.どう考えても前者の方が動くのには必要なんだけど.

まとめ

あくまで僕の感想でしかなくて,しかもロボットのソフトウェアとハードウェアをある程度理解してしまっている人間なので一般からかけ離れた感想かもしれないけど,N数の多い実験では取りづらい長期間にわたる生活での感想なので,大事にしたい.

でも,こういうN=1の感想ではなくてちゃんと理論を考えて研究している人がたくさんいるので,論文を読みましょう.新しい観点も結果も与えてくれるので研究は偉大です.そして,研究に対する努力は無限大ですよ…!*7

 

*1:健やかなる時は無いのでこれは偽

*2:不気味の谷は超えない程度にロボットらしい見た目をしていた

*3:実際対話に関して高度なプログラムを書いてないことを知っていた点も大きい.子供は結構びっくりして会話しようとする

*4:ROSや内部のアルゴリズムを完全に理解しているわけではなく,アプリケーションレベルでの理解しかしていない.ごめんなさい,私は何も分かりません.

*5:想定外の動きをすること自体は嬉しいけど,モータが壊れるとかそういった想定外の出来事は嬉しくない.トラウマ.

*6:これは定義上の死と見た目の死らしさが乖離しているためだと思う

*7:土日にたまに研究室にいない日があるので私はGuiltyです.