人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

人形遊び

リカちゃん人形はカスタマイズ性が高いらしい.

 

人形の最も広い定義の一つとして,人間が作り出すもの全てというものがあるけれども,被造物という点では人間も神が作った*1為,創造者Bと被造物Aという関係が成り立つが,構造を一般化した時,人間はどちらの側にも成り立つ.その際,一般的には創造者がより完璧な存在として存在するイメージがある.こと神においては被造物の人間が創造者である神の上に立つ話はあまり聞かないが*2,人形を作る際に逆の構造が成り立つ.

人間による被造物である人形に創造者である神のような理想が求められている.

ここまで一般的な表現をすると,人形が人の形をしていない場合も想像がつくかもしれない.理想を求める対象は別に人の形をしていなくても良いけれども,やはりイメージとして神も人の姿をしていると考える人が地域によってはそれなりにいて,そういう絵がたくさん残っている.

人形も,人の形をしていること特有の理想像があって,人間に近いものが求められている.ただ,無駄な要素が削ぎ落とされて綺麗であったり,半死半生を死ぬまで過ごす存在であることに魅力を感じる人が多い*3

 

そこまで大層な理想像を被造物に求めなくても良いのだけど,それはそうとリカちゃん人形はいつの時代も子供の理想を表していた*4.体型であったり,服装であったり,当時の人々が求める姿をしていた.現代においてそれのカスタマイズ性が高いということは,ここ最近人々が求める理想が多様化している背景に合致しているように思える.

人々が勝手に理想を求めていくとより良いと思う.仏像を彫っていきたい.

 

話を戻すと*5,人形は生憎人の形をしてしまっているので,比較的人間らしい表現をされている.その点では,人間を偶像化する試みとそれほど変わらないのかもしれない.この行為の是非は問わないけど,ただ韜晦趣味の人間には偶像側になると楽しいのかもしれないし,許容し切れず辛くなってしまうのかもしれない.二者間における認識の非対称性は相手を偶像化しなくてもよく起こるけれど,その非対称性(差異自体やそれを埋める過程,埋めない行為などを含む)を楽しめる人が少しばかりいると思うとこの世界に希望が持てる気がする.

 

 

 

*1:諸説あり

*2:そんなことはない.結構あるという意味

*3:勿論例外もあり,よりリアリティを求めたりグロテスク,汚さを表現されている人形も多い

*4:いつの時代も,の内ほぼ全ての時代を生きていないので知らない.

*5:戻らない