人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

読書について

今でこそ本を持ち歩いて時間があるときに読んでいるけど,以前は全く読んでいなかったことを思い出した.

 

多分中学生か高校生の時,たまに書店に寄った時に興味のある本を購入する程度だったのだけど,ふと"この世の中にある全ての本を読み切ることはできない"と感じてしまった.そして,全て知ることができない為に中途半端に(全体から見ればごく小さい)知識を入れて,不満足に死んでしまうことに対する恐怖が生まれ,本を読むことに対する抵抗が生じてしまった.

必要に応じて1,2冊読むことはあったけど,何かをまとめて読もうとすることは無かったし,日常的に読むことに対するモチベーションが湧かなかった.加えて,物心がついたのが大学生中盤になってから*1でそれまであまり深くハマる物事がなかったのも原因かもしれない.

本を読むようになったきっかけは大学二年生の夏頃だったのは明確に覚えていて,とても本をよく読む人に出会って,すごい人が本を沢山読んでいたので自分も読もうと思ったという阿呆みたいな理由だった.その人はプライバシーに関わらない程度で言及すると,同年代だったけれど,思慮深くて哲学書を沢山読んでいて,初めて見る程度には頭が冴えていて特殊な人だった.今何をしているかは全く知らないけど.

大学二年生当時,何を読んでいたかといえばよくわからない本を摘んでいて,とにかく何かのきっかけを探すように本を探していた.今思えば,数学なり何なりを体系的に学ぶ良い期間だったはずなのだけれども,モチベーションが湧くような知識が無かったので,残念ながらもがくしか無かった.精神的に辛くなる出来事もあり,学業が疎かになっていて,それに対する助けを求めてもいた.

それから少し時間が経って,意識とか人間の行動原理に興味を持ち始めた.精神病理などの本は2,3冊読んだけれど,事例ベースで面白い症例が紹介されているものがあり,面白かった.けれども,当時は知識の獲得方法を全く知らなかったので,今だったらもう少し体系的に学べたのかなと思う.

三年生の後半くらいからは,研究したい分野の方向性が少し定まってきて,勉強だったりの方面を多く借りて読んでいた.何もわからなかった.

最近は,興味のあるものとか知る必要がありそうなものを少しずつ探して読んでいるのが楽しい.

 

段々と,本を読みながら新しい分野を発見してそっちを掘り進めたり,この分野の知識をもう少し深めていきたいとか,本を探して読む基準が確立してきたし,読書が楽しくなってきたと思う.とりあえず読むようになったのは良かったのかなと思うし,途中で"この世の中にある全ての本を読み切ることはできない"ことに対する諦めはついて,今興味のあるものを見通したてて深めていけたら楽しそうだな,といった程度に楽観的に捉えられるようになったと思う.

 

小説を読むと情緒が破壊されるので避けているのだけど,最近は人に勧められて少しだけ読むようになった.*2

 

 

*1:そろそろ2歳半になります.

*2:そういう理由なので,映画など,表現方法に限らずフィクション全体が苦手だけど.