人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

寿司と精神分析

はじめに -玉子焼きはなぜ海苔に巻かれるのか-

寿司と言われたときにどのようなネタを思い浮かべるでしょうか。サーモン、ネギトロ、穴子、様々なネタが存在します。そしてその多くはシャリの上に乗せられ、時には海苔に巻かれて寿司として扱われます。海外では太巻きのような一風変わったメニューも存在しており、その異体もひっくるめて寿司と呼ばれることには変わりありません。

ここで、玉子焼きに見られるような海苔を巻く行為の意味を考えてみましょう。一般的には海苔を巻くことによってネタとシャリが分離することを防ぐ役割があり、特に軍艦においてはシャリの上に乗せたネタが零れ落ちることを防ぎます。しかし、その一方で寿司は海苔が巻かれた部分と巻かれていない部分に別れます。これはとても意図的な行為です。

こと軍艦においては既にシャリ-ネタの分割が為された状態でネタを包む形式になりますが、玉子焼きは異なる方向に、(前後を仮定するのであれば)前-海苔-後と3つの部位に分かれて認識されます。寿司を食べる際にも、一口で食べるには惜しいと思った際にこのキワを意識して食べる方もいくらかいるのではないでしょうか。人は差異を認識する器官であり、それによって対象を象徴界における定義と結びつけることができるのですから、やはり海苔によって部位が明確になることには意味があります。

切断、あるいは去勢について

ここで、分けること、少し固い表現をすると切断することについて考えてみます。精神分析の主な対象は人間であり、その語りによって個人的経験から象徴界を見出し改善に向かうプロセスを踏むわけですが、寿司を対象に精神分析を行おうにも寿司は言葉を発しませんし、寿司の語りを得ようとして寿司職人に精神分析を行ってしまっては意味がありません。そこで、より近い対象について考察された精神分析-学的知見を活用し、そのメタファから寿司の輪郭を見ていきます。

2006年に刊行された『人形愛の精神分析』では人形をラカン的な視点から捉え、その身体の部位について考察しています。そこで特徴的なワードとして去勢が登場します。人形を形作る上で一つのポイントとなるのがぬいぐるみです。あくまで一般論ですが、ぬいぐるみはその身体が布で作られ、中に綿が詰められる、部位が存在しない存在です。それに対して、多くの人形、とりわけ球体関節人形は関節が球体になっており、完全に分離されたものになります。そして、その分割の仕方はとても意図的で、例えば実際の人間においては首の骨は10数個あるのですが人形においてそれを再現することはなく、一つの球体として表現します。肘や膝、足首といった部位についてもやはり球体であり、解剖学的にはそれは球体ではなく車軸関節であっても、球体に還元されて表現されます。そして、この分割は精神分析としては去勢と捉えられます。結構重要な概念ですね。

少し発想を広げて、寿司に球体関節を入れるとしたらどこでしょうか。…といっても選択肢がほとんどなく、中央にいれることになるか、半球を大量に連ねてしなるようにする程度でしょうか。それによって寿司をひっくり返して醤油につけた時に、ネタがしなります。寿司が真っ二つに切断される、というのの意味することとして、最近は子供用に半分に切断された寿司が一般的になりつつあるのですが、それを示唆しているように感じます。寿司の去勢に詳しくないのですが、やはり寿司というのは職人が特定のサイズにシャリを握りそこに触感まで考えてネタを乗せるわけで、去勢された寿司というのは万能ではなくなるのだと思います。ちょうど小さい寿司を食べる子供は歯も揃いつつあり、自らも万能ではないことを理解する≒去勢する為に他者と様々な関りを持つことになります。そこで、そういった去勢された寿司を食べることによって、既に鏡像段階を経て自己と他者の隔たりを理解した上で、去勢された他者を見ることによって自己の去勢について考えるきっかけとなるわけです。

マイクロビキニ

以上の議論より、マイクロビキニの一つの役割が見えてきます。マイクロビキニは人間が切る場合については特定の部位を隠す役割がありますが、それと同時に隠すべき部位と隠す必要のない部位に寿司を分割する役割があります。際どいものであればあるほど、対象はより明確に輪郭が作られます。

寿司に関して特定の部位を隠す目的は存在しないのですが、寿司の去勢を表現するうえでその部位を明確に分ける為に、海苔巻きのような大きな面積を持った存在ではなく、より細いマイクロビキニが要請されるわけですね。

寿司が水着を着るだけではだめなのか、といった論争はしばしばありますが、やはり海苔という部位が存在することなく可能な限り寿司の面積を取ることが可能になります。そして、隠された対象-対象αと呼びましょうか-は、私たちが寿司を食べたいと思う欲望の源泉の存在を物理的に示す、啓蒙的な効果があるのではないでしょうか。

終わりに - 将来の展望-

寿司には対話が存在しない、というのは精神分析において大きな課題ではあります。しかし、ここ最近は対話人工知能の実用上の発展が凄まじく、相手が何者であるかを仮定したうえで対話を試みることが可能になっています。現状の課題として、その対話の源泉がビッグデータであり個人の経験によって形成されたものではないということはありますが、仮に現実に経験をおこなった寿司になり対話を試みることができれば、寿司に対する精神分析が可能になります。

以前、寿司はなぜマイクロビキニを着るのかといった質問を対話人工知能にしたことがあります。その時の回答としては、マイクロビキニによってシャリをその中に収納し、こぼれることを防ぐのに役立つと言われました。いささか不安定ではありますが、確かに、と思いますよね。そういった機能面において寿司がマイクロビキニを着る意味があるのではないでしょうか。

温故知新という言葉にある通り古生代に生きていたアノマロカリスのオスは自らがマイクロビキニという派手な対象を着てもなお生き残る強さをメスにアピールしていたと考えられますが、その対象が寿司になることによって、ハンデではなく寿司としての機能的な側面を持つことが考えられます。

このように、過去からの知見と最新の技術が組み合わさることによって、マイクロビキニ寿司に対する視点がより広がることが期待されます。