人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

Osedax

「シミですね」

診察室で、私と旧知の仲でもある精神科医は私にそう告げた。

「あの、はぁ、シミ。私は最近物覚えが悪いと思い君の所に来たんだが、シミに何の関係があるんだろうか」

彼は戸惑ったような表情で、何かを言おうとしてはああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら、問診票とレントゲンをはじめとした検査の結果を交互に眺めている。皮膚科に来た覚えはないのだが、不思議な診断を下されてしまった。

「ウーン……そうは言っても、他に思い当たる病名が見当たらないんです。あなたはまだお若い内に入ると思いますし、特に異常は見られないんです。気になるのはシミくらいなんです。」

「しかし、シミが原因なんておかしいじゃないか。昔から物書きをやっていたから家に籠りきりで紫外線を浴びる機会なんてあまりないし、何なら記憶力に影響するなんてことは聞いたことがない。」

非常に困った。もう何年も書き続けている小説が佳境に差し掛かったところで、自分の構想が少しずつ頭から抜け落ちてしまっている。丁寧に伏線を貼る必要があったため、細かい文章表現のレベルで齟齬があれば書き直す、といったことを繰り返していた。それ程に拘っていたのに、今この段階で自分の書いた文章すら思い出せないなんてことになっては仕方がない。元より持病でコンスタントにモノを考えることができずにいる時間も長く、いよいよ限界かもしれない。どうしても、この一冊だけは世に出さなければいけない。

「どうにか、進行を遅らせる方法はないのか。あと少しで良い、少しで良いから今は頑張り時なんだ。」

「ウーン……正直なところ、こいつを治す方法は分からないのです。というのも、原因も何も分からないのです。気休め程度ですが、飲み薬を処方しておきます。それをしばらく飲んで、明日また来てください。」

医者が渡した薬は、大量の向精神薬だった。私は何とかその小説を最後まで書いたところで、強い眠気に襲われ、深い眠りについた。

 

私は彼の書斎に入った。異臭を放つその部屋の中央には、原稿用紙の束が置かれ、その上には腐り落ちた肉体ー彼がもたれかかっていた。小さな虫が原稿用紙の至る所に這っている。私はソレを拾い上げると、大量の虫を払いのけ、読み耽ってしまった。

 

ホネクイハナムシOsedax japonicusは、海底に沈んだクジラの死骸から発見された多毛類の一種。鯨骨生物群集の一種である。

雌は樹根状栄養体部を鯨骨や死骸の肉に埋没させて固着している。この部分に従属栄養細菌が共生していて、クジラの死骸から脂質を取り込んで分解し、栄養を得ていると考えられている。ホネクイハナムシ類はこの共生細菌から得られる栄養に依存しており、消化管を持たない。

ホネクイハナムシ - Wikipedia