人間のあるべき姿の探索

思索・人形・エンジニアリング

キュビスム展に行きました

所用で上野に行ってきたのですが、丁度50年ぶりのキュビスム展をやっていたので、入りました。

cubisme.exhn.jp

 キュビスムのことは全然知らないのですが、以前から気になっていました。

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身体が球体であることは美しいので、球の美の思想として、「キュウビズム」とでも呼びましょう

丁度一年後、活版印刷体験でも同じことを言っていました。

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球体関節人形の球の美しさを求めるのだから俺たちは球・美・思想であろうと言っていたの、丁度一年前のことでした。希求の求と球体の球をかけて、そして反復的に無生物を生み出す死の欲動にかけて、その意を印刷しました。稀に活版印刷で見かける文字が90°傾いた誤字も再現できたため、球体を表すキュウを回転させました。

西洋美術への知識・理解がない

 思い返してみると、西洋美術にきちんと向き合う機会がなく、小さいころに美術館には偶に連れていかれたものの、あまり自分の中で感想が生まれなかった気がします。高校生の頃は一年時に美術と音楽でクラスが分かれ、音楽クラスを選択してリコーダーをピーピー吹いていた為、美術について技術・知識共に学ぶ機会がありませんでした。理系を選択しつつ高校二年生まで世界史をやって一応定期テストを暗記で88点くらい取った記憶がありますが、その後すべての横文字を忘れてしまった経験を思い返すと、多分横文字の名前だけ見てその背景にある意味やつながりを理解しないとすぐに忘れてしまうのだと思います。あまり美術や知を重んじる精神もなかったので、作品を見てきちんと長期記憶に残るような消化をできていなかったのだと思います。そういう人生を長らくやってきたな…と、いい年になってから人生を見つめ直しています。

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大学院生になってから人形を作り始めて、自分なりに作品やそれ以外の対象を捉えて消化する方法を見出したのですが、知識の面では、印象派とは?など未だによく関係を理解できておらず、といった感じです。キュビスムについても、写実ではなく幾何学図形を用いた表現によって新たな地平を見出そうとする試みで、結構反発もあったくらいの理解でした。

キュビスム展の感想

展示概要を引用します。

20世紀初頭、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかつてないほど大きな変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。伝統的な遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。キュビスムが開いた視覚表現の新たな可能性は、パリに集う若い芸術家たちに衝撃を与え、瞬く間に世界中に広まり、それ以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼしています。

この度、パリのポンピドゥーセンターからキュビスムの重要作品が多数来日し、そのうち50点以上が日本初出品です。主要作家約40人による絵画や彫刻を中心とした約140点を通して、20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを紹介します。日本でキュビスムを正面から取り上げる展覧会はおよそ50年ぶりです。

 最初の感想としては、キュビスムとして表現されるものにも歴史があり、その始まりから新しい主義へと発展していく中に様々な作家による試行錯誤が見られたのだと知れたことが嬉しかったです。結構グラデーションがあって、風景、例えば道や家をそのディテールを精密に表現するのではなく、図形に落とし込むといったものもあれば、ある程度時期の進んだもので解体して図形に落とし込むというよりは図形の中に表現したい対象が微かに浮かび上がるような作品もありました。前者はジョルジュ・ブラック『レスタックの高架橋』、後者はフランティシェク・クプカの『色彩の構成』等から感じました。

 正直理解の及ばない作品もありました。音声ガイドをつけずに作品を見てしまったこともあり、解釈を自分の身に委ねていた部分が大きいので、もう少し作者の意図やガイドのような見解に根を張って眺めても良かったなと思います。

人形との関連

 そして、特に言及はありませんが、ハンス・ベルメール球体関節人形を思い出しました。ベルメールのことは学ばないといけないと思いつつ、本も読まず手を動かすばかりなのですが、球体による身体の表現はキュビスムのような幾何学図形による写実だけでない表現の模索のように感じます。それは球体関節が可動域や自由度の要請に応えうるポーズ変更が可能な造形物としての側面もありますが、ある意味でのデフォルメが何を意味するのか、考える余地があると感じました。

 丁度人形作家の先生にそういった話を伺いました。球体関節と言った時に可動部を単に真球にしてしまいがちだけど、実際にはよりリアルな造形を求めて楕円形にしたり、解剖学的な正しさを考えると、どこでその肉体を切断するか考えられるよね、とのことで、切断を考察したい感覚は微かにあったものの、そういった観点を明確に示されて納得しました。そのくだりはちょっとだけ年末にブログの途中に書きました。

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 また、切断については僕は藤田さんの『人形愛の精神分析』を読んで色々考えていました。2018年に大学の図書館で手に取って、その後バーにおいてあるものを軽く読み返したりした程度ですが、人形の関節の分割は去勢のメタファーとされるという言説でした。かなりラカン派の精神分析に寄せられた内容らしいので、そちらへの理解が必要なのですが、やはり肉体をどう分割するかについては長い人生の中でよくよく考えていく必要がありそうです。

 関連して、ユリイカの2021年1月号『ぬいぐるみの世界』特集の小澤京子さんのぬいぐるみの存在論と様式論では、人形とぬいぐるみの二項対立の図式をいくつか紹介しています。勿論似て非なるもので共通点もたくさんあり、例えば布を素材に詰め物をした玩具とすると布製の人形もぬいぐるみになってしまいますし、接触性や可塑性のある素材としても抱き人形が含まれてしまうといった次第です。他の評論でも示されていたリアル志向かデフォルメ志向かといったものは個人的に好きで、人形を人と間違えることはあれどぬいぐるみを人と間違えることがないのはそうだと思います。そして、人形はパーツごとの集積でできており、構造的で、ばらばらにできるが、ぬいぐるみは破れやほつれを除けばそうではない、という点が気になりました。

 キュビスム展に話を戻すと、ピカソの作品も何点かあり、切子面(Facet)と表現される形態を分割する面が使われていると説明されていたのが印象的でした。そして、様々な時期の様々な作品を見る中で、やはり解剖学的な側面に基づいて図形的な分割をしているものと、そうではない平面によって分割されたり形式化されたものがあるように感じました。どうしても美術品としての創作人形を作る際にリアリティを求めることが多いのですが、幾何学図形やより単純化された記号、あるいは記号と見做すことが困難な図形に寄せられた人形にはそういった模索を見出すことができると感じました。

 余談として、結構混んでいました。時間と体力の兼ね合いもあってさらっと通り過ぎてしまってあまり落ち着いて見られなかった作品もあるのですが、行列に並ぶとその間移動できず作品一つ一つに向き合わないといけない時間が生まれます。その時間の中で細部に目を向けたり、思考をめぐらせることができたのは、混んでいる展示の良さかもしれません。以前ディズニーシーに行った際は、コロナの影響で入場人数に制限がかかり、本来待ち時間に楽しむことができるアトラクションの待機列の細部のこだわりや雰囲気、待っているわくわく感を得損ねてしまったことがあり、混雑を楽しむというのは意外と重要なのかもしれません。

キュビスムを知る前の話

 キュビスムを理解したか?と言われればNoですが、作品とその主義についてなんとなく概要を一緒に眺めたことで、雰囲気を知ることができました。もうちょっと理解を深めたいので、精進します。

 作品を見る中で、そういえば自分はこういうことがしたかったのかもしれないなと思いました。結構昔からその気はあったかもしれないですが、幾何学図形というよりは、あいまいな線画の中に輪郭が浮かび上がってほしい、肉体が既存の形を越えてほしいという気持ちがありました。人形に触れてからは、その欲が球体による身体の分割がメインになったような気がします。同じような経験として、昨年神保町の神田古本まつりで購入した多賀新さんの『銅版画 江戸川乱歩の世界』にあった記述を思い出します。

 その作品には、鳥とも魚とも獣ともつかぬ奇怪な動物が女の肢体と混ざり合い、女の差し伸べた手が濡れた下枝と化し、下半身が樹木と絡み合って根となり、地中深くけぶれるように消えてゆくさまが稠密に描かれていた。

 初めて多賀新氏の銅版画に触れる者は、必ずや幼年期の懐かしい情動を想い起こすに違いない。お伽話やギリシア神話を持ち出すまでもなく、少年にとってメタモルフォーシスほどエロティックな夢想はないであろう。

思い返してみると、異形頭やメリーゴーランドと融合した身体が好きだったのは、こういうことなのではなかろうと、思った次第です。

開いた箱は戻らない

 一度知識を得ると、得る前の状態に戻れません。多分、今後自分の欲を探すときに、言語によって「キュビスム的な欲を持っている」と枠組みで語ることができてしまうのが、解説には役立つにしろ欲を探索する幅を狭める恐れがあると感じました。記号で扱える範疇やその記号がどういったものか説明できてしまうことは、創発を生み出すにあたっては障壁となると考えています。勿論、知識を蓄えることでその関連性を見出すのが知性や閃きであると思うのですが、それは体系化のプロセスであって、その前にあるもっと不明瞭な状態の素直な感覚を維持する胆力が必要になったのが息苦しいと感じました。

 ミステリは一度目の楽しみを一度しか味わうことができません。犯人、引いては真実を知った後に、それを推理することはできなくて、語られなかった背景の考察をするに留まってしまいます。素人が専門家を驚かせるような素晴らしいアイデアを出すことは稀なので素直に素人は黙って勉強しとれ…とは思いますし、その過程で精緻化・体系化された知識同士の繋がりが多くの分野における新しい地平を生み出すと思っていますが、その一方で知ってしまったことで喪失するものもあります。

 ミステリについては単にネタバレと表現すればよいかもしれません。箱を開けてその中身を楽しむ、その行為は箱を閉じたまま想像する行為を永遠に破壊しかねないことに注意を向ける必要があります。とはいいつつ、基本的には箱を閉じたままにしたいことは大体墓場に持っていきたいものと表現されるような知らなくてよい悲しい事実を指す気もするので、やはり何かを生み出すか消費するにあたっては、知ることを恐れず、知らなかった時の気持ちも大切にする、両方やっていくべきなのだと思います。

 そういえば、『風の谷のナウシカ』を一度も視聴せずにこの歳まで生きてきましたが、もうそろそろ良いかなと思うので見ようと思います。

終わりに

とりとめもない話になりましたが、キュビスムについてある程度まとまった絵・彫刻等の作品と少しの解説を知ったことで、これを知るべきだったか?と悩みました。一度開けた箱は戻りませんが、人生が終わる頃にはすべての箱を開けている状態になっていたいですし、開けたことを喜べるようになりたいですね。

創作に何ができるのか

 副題を「ク ソ デ カ 希 死 念 慮」としておきます。

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 今年を振り返りながら、丁度一年前の話の焼きなましをしていきます。

鴻之舞鉱山に行った

 今年の9月に北海道の東の方をドライブしてきました。私は自動車免許を盛っていないので、運転手の運転をほめる係をしていました。2泊3日の旅程ですが1,3日目は昼の便で移動したため、実質48時間での旅行となり、野付半島知床半島、網走を高速移動する旅となりました。

 本題に移ると、北海道は紋別鴻之舞鉱山という場所があります。…もとい、鉱山がありました。網走から紋別の空港に向かってサロマ湖を横目に海沿いを走り、その終わりの辺りで南下したところにその一帯はあります。鴻之舞周辺の元山付近で1915年に鉱床が発見され、鉱区設定をめぐる紛争が起き、その後1973年にいたるまで鉱山としての操業を続けたらしいです。鴻之舞鉱山は発展し、最盛期の1942年、丁度太平洋戦争の少し前辺りには14640人ほどの人工となり、鉱山労働者やその家族が住んでいたとのことで、その発展の具合がわかります。しかしその後戦争の激化により、鴻之舞鉱山で主に取れていた金が不要不急となり、労働者の多くが他の事業所に配置替えとなったり徴兵され、第二次世界大戦後には金価格も下落して至言も枯渇、1973年に鴻之舞銅山は閉山しました。現在は沈殿池のみ稼働しています。

 沈殿池とは何か?ついでに、旅行の中で見つけたサイロやシックナーについても後で調べました。サイロ化という言葉は聞いたことがありましたが、工業原料や農産物などの集配と貯蔵の為のバラ積み方式の容器を用いた倉庫と知ったのは後のことです。最近だと効率や安全性の面から塔の形をしたサイロではなく、飼料を樽上にまとめて袋に詰めるようで、確かに牧場でそういった形状の何かを見たことがあったので、納得感がありました。

 そして、廃鉱山跡として当時の施設をいくつか見た後に、上藻別駅逓所に行きました。別名鴻之舞金山資料館のこの場所は、当時駅逓として使用されていた建物を資料館に転用し、当時使用されていた道具や算出された鉱石が大量にありました。長く滞在できなかったことが悔やまれるのですが、当時のことを知る方がいらっしゃったり、資料的価値の大きい場所でした。個人的には大量の石に興奮したのですが、当時の生活が見える貴重な資料館です。

www.ok21.or.jp

 と、鴻之舞の話をしてきたのですが、旅行当時はこれらの情報を全く知らずに帰ってきました。飛行機の時間の都合で急いで上藻別駅逓所を離れ、飛行機に乗り、疲労からぐっすり眠り…といった形で帰路につき、旅行全体を思い出として偶に思い返す何かとして記憶の片隅に置いておくことにしました。

 それから一か月程経ったある日、急に鴻之舞鉱山のことが気になり、YouTubeGoogleで調べ、キャプション付きの写真をいくつか見ました。そうしたら、上述の情報を主とした鉱山周辺での生活やその文化の栄華を想起し、どうしようもない気持ちになりました。こういう気持ちになると、仕事を辞めたくなります。今まで廃墟を今現在の情景として捉えている節があり、その歴史を感じ取る程の手がかりを掴む知識がありませんでした。しかし、個人宅や旅館ではないレベルの街という大きな世界があったことを確かに感じたことで、感じるところがあったのだと思います。

 大自然を見たとき人は悩みがちっぽけに感じるといいますが、直近の悩みを近視眼的に気にする人であればともかく、大局的に人生の喜びや苦しみを捉えようとする人にとっては、その両方を矮小化する存在になります。私はいわゆる絶景を見たことが少なく、いくつか見て回ったところは確かに自分の目に映る程度には壮大であるものの、彩度を上げる加工技術が眼球に備わっていないため、少々落ち着いたものに見えました。それに比べて、想像を掻き立てられる文化の栄華は、一般の人々にとっての大自然と同様に感じられました。これを希死念慮と呼びます。

 知床半島野付半島の景色も素晴らしいものでした。壮大な崖、大きな岩を見ると人は喜ぶので、当然私も喜びました。野付半島のトドワラは年々朽ちており、あと数年で朽ち果ててしまうとのことで、当日の天気も相まって彼岸との境目の様相を呈していました。野付半島は植物のゼンマイの様に先へ向かうにつれて細く枝を伸ばしながら丸まっていくような地形で、その半分ほどまで足を伸ばすことができます。ガタガタとトラクターに揺られて両側が海に、木々に囲まれる様子は丁度ゲゲゲの鬼太郎の片道切符で地獄に落ちていくようでしたが、今回は往復切符なので生きて帰ってきました。

  木々が好きです。

人形の話

 この一年は一つのプロジェクトをひたすら遂行しており、MVP(Mean Viable Product)をリリースするところまで何とかこぎつけました。これから塗装や展示をできるような準備を進める必要がありますが、一年間でノウハウを大量にため込みながら設計を形にしていきました。

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 思い返すと、今年は人形展にあまり行きませんでした。2018年2月、熱海のミワドールさんに行ってからというものの、人形に詳しくなくてもとりあえずいろんな展示を見に行きました。大きめの公募展に行くことが多く、次第に作家さんの個展なども見に行くようになりました。2021年は当時おつきあいしていた方が人形を好きだったこともあり一緒に行きましたし、2022年は新卒で採用された直後だったので、人形制作と労働の両輪で回していくためのエネルギーをもらうためにいろんな展示を見て、種々の人形や作家さんから元気をもらっていました。新人研修で日々忙しく、8時過ぎにカフェで一人で設計をしていた折に、ふと「土日で京都に行ける…」と思い、金曜日の夜に油絵具の塗装をやり、土曜日の昼に家を飛び出て新幹線に乗って木村龍先生の個展を見に行ったのは今でも覚えています。

 なぜいかなかったのかと考えると、やはり自分のやるべきことが多かったのだと思います。平日は時々休みも入れていましたが、毎日1~3時間程度は設計作業や粘土を触る作業をしていましたし、土日は平日分の気分転換をまとめる都合もあり、3~6時間程度作業をしていました。これが東京まででかけて展示や食事を梯子すると何もできなくなってしまう為、家にこもりきりになっていました。上記のProject Beyond Eveの記事一覧の中に記載しているのですが、粘土作業からプログラミングまで、多種多様な作業があり一人ですべてをやっていたので常に脳内の一次キャッシュにすべてを詰め込んでいる状況でした。気を抜くと、一か月友人に会わなかったみたいなこともあり、結構限界でした。

 一年ほど前に、最初に掲載したブログの内容を考えていて、当時は作り手になることを受け手としての創作に対する飽きに抵抗する妥協案と書きました。問題意識からくる回答案としての創作ではありましたが、今でも答えを出せず、同じ気持ちです。そして、創作に何ができるか改めて考えた時に、結局は作る為の構想と過程と結果がそれぞれ得られるのだなと感じました。

 作りたいものの構想を練る段階は私にとってかなり苦痛だと感じています。今まで創作にきちんと触れることもなければ、解像度高く物事を捉えたこともありませんし、道端に生えている花の名前もろくに知りません。アイデアが山の様に湧き出てくる人が羨ましく、そしてそれを叶えきれない苦しみがあることも察しています。

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 私は人形を作る過程が一番好きかもしれません。人形…といってもここ一年は人形を動かす為に、まず機構を仕込んだり、端的な表現をするとロボット化し、そして人形になる為に身体的なフィードバックのループを組み込むソフト・ハード面の仕組みを組み込んだり、といったことをしていました。それらのある種システム開発的な面での試行錯誤もそうですが、粘土をこねている中で意外と収縮することや、眼球がきちんと真球であり、瞼やその周辺の皮膚組織もそれに沿う形になっていることや、テクスチュアはその内臓・骨・脂肪などからなるボリュームの突出部であることを実感するその過程に喜びを覚えますし、その度に自分の未熟さに失望したり、焦ったりします。そして、完成に向けて何かを諦め、そして完成後にその諦めた部分を見返す度に悲しい気持ちになります。

 結果として出来上がる人形にあまり感情移入したことがありません。以前、かなり感覚的に存在するイメージを現実に産まれさせてあげるような試みとして人形制作をされている方の話を伺いましたが、私はかなり対極というか、コンセプチュアルに対象を構成したい気持ちでやっています。ディテールの美しさの好みはあるものの、作りたい概念を言語化するのが楽しいのだと思います。極論、そのコンセプトをやってくれる人がいれば、自分は新規性を気にせず粘土を捏ねていられますし、自分が作ったという経験を得ることと新規性を自ら切り開くことの二つを除けば、作られた結果に何かを感じることは少ないのかもしれません。

クソデカ希死念慮

 何をして生きていくか、と常に問うているのですが、人生の暇つぶしとして何かを作り続けなければ生きていけないように感じます。百年戦争中のヨーロッパを舞台に、魔女たちが戦争をする男たちを誑かす中で、主人公の魔女マリアだけは正面から戦争を止めるために怪物を呼び出して戦場を荒らします。神々はそれを疎ましく思い、いずれマリアの活動を邪魔するようになります。マリアは神に戦争や戦地における凌辱を見過ごすのかと問い、逆に神はマリアが自分に見える範囲だけを救ってそれ以外を見ないふりをするのかと諫めるシーンがあります。戦地にて凌辱の限りを尽くそうとする傭兵達の目を潰したら危機を回避した村民達が傭兵を殺害しようとし、それをマリアが止めると姿が印象的です。未だにこのやり取りの解釈の落としどころを見つけていないのですが、神に見守られている主体こと人間の自分は目に見えるものを良くしていく、自分の欲に従い、その欲が衝突することもあるくらいに解釈を落ち着けました。

 大きなものにであってしまった衝撃という外圧及び今まで生きてきた中での世界に対する苦しみこと内圧の双方から、自らの矮小な人生に対するどうしようもなさが生じています。これと付き合っていくには、自らが何かを作り続けることしかできないのではないかと思いました。仕事も、より価値を生み納得できるようなことをしたいと思うようになりました、技術や作業に対する個人的な喜びと、世の中に価値を生んでせめて自分が見える範囲だけでも良くしていきたいですね。仕事は常に現職とそれ以外の綱引きだと思っているので、私の技術スタックや性格からして面白そうな仕事があれば是非相談させてください。

 それとは別に、もっと世の中を見たいです。その度にどうしようもない気持になるとは思うのですが、世界遺産になっている絶景であったり、街の文化であったり、人が産み出した概念・モノ全般についてより深く知りたいと思うようになりました。海外に行ったことがあまりないので、若いうちに、体の動くうちにもっといろんなものを見ようと思います。旅行のお誘いは待っています。

活版印刷機を作る

 先日活版印刷の体験をしてきました。自分で文字を拾い、ノートの表紙にイラストと選んだ文字を印刷できます。14文字まで選択できた為、結構悩みました。

campanella-letterpress.jp

 球体関節人形の球の美しさを求めるのだから俺たちは球・美・思想であろうと言っていたの、丁度一年前のことでした。希求の求と球体の球をかけて、そして反復的に無生物を生み出す死の欲動にかけて、その意を印刷しました。稀に活版印刷で見かける文字が90°傾いた誤字も再現できたため、球体を表すキュウを回転させました。

 球体に絡めた話で、先日木村龍先生と少しだけお話させていただく機会がありました。僕の人形を動かす試みについて話をさせていただいたり、人形の作り方を伺ったり、貴重な機会を得られたのですが、その中で球体関節の話をしました。ベルメール以降球体関節が流行っているようですが、実際どこからどこまでを球体とするか、そしてなぜその形にするか、といった話をしました。機構的にはなぜ?と考えると可動域の利便性が一つの回答になるのですが、それがリアルな人体の形とのトレードオフになる為、結構考えていたのですが、人体の仕組みと意味の両面に照らしてみると検討する余地はあるなと改めて思いました。機構についてメモ書きをみせて説明しつつ、逆にメモを頂いたりしました。ご迷惑をおかけしました…

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 話は一旦飛んで、今年は生成AI(と便宜上呼びます)がとても流行りました。私自身、ChatGPTには興味があったので結構遊んでいましたし、画像生成についてもコミティアに出した小説の表紙を生成したりと、結構活用していた気がします。今年は技術系・その他共に結構ブログを書いていた気がします。アドベントカレンダーで12月に25記事書いたのを除いても30程度の記事を書いていたようです。

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 生成AI、特に言語生成については大学院時代に近い分野の研究室にいたので興味がありました。研究室の動機も言語モデルを扱う研究をしていたので話は聞いていましたし、逆に冬の時代の話も度々聞いていたので今の流行りに対してはキラーアプリが本当に作れるのか、一般のシステムよりも確率的な出力をするシステムの構築は難しいのではないか、等厳しい気持ちでいます。とはいえ、世の中は常に何かの過渡期ですし、そういった複雑なシステムが将来的に実現されるにあたっては通らなければいけない道だと思っているので、発展には期待しています。

 しかし、今の生成AIにできないことは何だろうと考えると、やはり身体性や動機付け、言語モデルのInput/Outputでしかないことだと考えています。モデルそれ自体に動機付けがされていない、実時間インタラクションでない等、実際の人間とはかなり異なる部分がありますし、強くバイアスがつけられたモデルによる広範なコンテクストを理由付けして閃くような、そんな思考はてんでダメというのが使ってみての感想です。うまく動機付けのアルゴリズムを作って強化学習のような枠組みと通信させても、疎結合では本質にたどり着けないのではないでしょうか。

 そういった技術のことを考えながら、人形にできることを考えていました。私は人形になる試みの中で、人形とのインタラクションができればと考えました。人形それ自体に憑依することも含め、触れる、体験を作れる、そういったものです。巷ではChatGPTをM5Stackに組み込んで会話をするロボットが作られておりとてもかわいらしいのですが、技術による解決のすばらしさを感じます。一方で、耽美等の観点を盛り込んだ全体としてのUXとしては、ただ音声認識と言語生成、音声合成を用いる体験はどうなのだろうと考えました。そこで、活版印刷機による出力の形式はどうか、と考えています。神が信託を与えるように、被造物たる人形が体に組み込まれた活版印刷機を用いて返答を紙で返す、そういった体験ができたら面白いと考えているので、来年あたり実現出来たらよいと思います。しかし、活版印刷機は複雑な仕組みを持ち、それを作ることは難しいのではないでしょうか。

 作りました。

youtu.be

 仕組みを理解する過程や機構を干渉させない微調整等に楽しさがありました。そして、世界を理解したい気持ちを満足させてくれたような気分になります。その類の欲を満たすには、個人的には以下の本がおすすめです。以前どこかで見かけて以来気になっていたのですが手元に置けていないので、誰か贈ってくれると嬉しいです。

www.iwanami.co.jp

今年の振り返り

 TR;DR:人形を作り、人形になりました、以上。

 浅草ロック座に行き、美しい肉体、特に筋肉の躍動をみました。人形やトルソーを2体ほど作り、それ以外は長いプロジェクトを推進していました。寿司を大量に食べました。人生で初めてコミティアに出て本を作りました。偶に友人に会う機会がありました。仕事と称してパソコンをカタカタし続けました。

 今年も静かな一年でした。来年は今以上に色んなものに触れ、そして作り、騒がしくしていきたいですね。

終わりに

遺書としての完成度が高まってきたので、ここいらで終わりにして、来年も少しずつ寿命・コンテンツ・その他を消費しつつそれらを糧にちょっとしたものを作って寿命が尽きるまでの暇つぶしをしていきましょう。

 

 

一人アドベントカレンダーをやりました

表題の件です。

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一人アドベントカレンダーを走った背景

 Project Beyond Eveと称して、ここ一年人形を作っていたのですが、期限を決めておらず中々作業も難航していた為、期限を決めてMVP(Mean Viable Product)を実現することにしました。丁度11月頃に、12月で約一年になるので、ここを期限としよう!と師走を爆走する決断をしました。

 しかし、期限を決めたは良いものの何か制約があるわけでもありませんし、一人で黙々とやっているので誰かに宣言をしたところで途中で断念することに対するプレッシャーがかけられません。考えました。丁度、今やっている作業をどこかにまとめたいと思っていたのですが、何分書くべきことが多く、困っていました。そこで、25日分に内容を分けて、最後の日をデモ公開にすればよいと気づきました。そして地獄へ。

 途中でインフルにかかったり、大変でしたが、何とかなりました。

完走した感想

 とてもつらく厳しい一か月でした。幸い業務に余裕があったので8時間労働の後に寝る支度をしてそのまま4時間粘土作業みたいな日も作れました。アドベントカレンダーの執筆は一記事800~3000文字程度で平均1600文字程度、時間としては30~70分程度だったので、かなり大変でした。インフルの影響もあり、何だかんだ12月はタスクの切り分けに集中して実タスクは造形作業を中心に、ソフトウェア開発等の来年に持ち越しそうなものはやらずに一旦終結させる為の作業をしていました。うまく切り分けて、今後の作業を切り出していくというプロセスを踏めたのはプロジェクト管理として良い経験だと感じます。やってよかったと思います。

 デモの公開はできたものの、来年もまだまだやることがあります。展示ができたら良いな~と思っているので、安定してより綺麗に動くように改善していきます。2日間動き続けてくれると嬉しいですね。

 お疲れさまでした。

記事一覧

AdventarというWebサービスアドベントカレンダーを実施したのですが、サービス継続の観点から長期保存する為、そしてはてブ内で直にリンクする為にここにも記事を貼っておきます。Adventerは以下です。

adventar.org

記事を一日目から貼っていきます。

一日目:Project Beyond Eve : 人形になる - 人間のあるべき姿の探索

二日目:アンドロイドの構成要素を考える - 人間のあるべき姿の探索

三日目:球体関節をモータで動かす:人形の関節を考える - 人間のあるべき姿の探索

四日目:球体関節をモータで動かす:外骨格にモータを仕込む - 人間のあるべき姿の探索

五日目:型取りの為の人形の3Dモデリング:胴体編 - 人間のあるべき姿の探索

六日目:型取りの為の人形の3Dモデリング:頭部編 - 人間のあるべき姿の探索

七日目:3Dモデルを人形の型取りに使用する - 人間のあるべき姿の探索

八日目:人形の外骨格と機構を繋ぐインターフェースの概念 - 人間のあるべき姿の探索

九日目:人形の部品同士をつなぐためのインターフェース - 人間のあるべき姿の探索

十日目:大きい人形を作る - 人間のあるべき姿の探索

十一日目:人形になる為のソフトウェア構成を考える - 人間のあるべき姿の探索

十二日目:人形になる為のシステム:HMD側アプリケーション - 人間のあるべき姿の探索

十三日目:人形になる為のシステムを作る:人形側アプリケーション - 人間のあるべき姿の探索

十四日目:人形のシステムの自動テストと手動テスト - 人間のあるべき姿の探索

十五日目:人形に機構を仕込むためのハード選定 - 人間のあるべき姿の探索

十六日目:人形を動かす為の部品調達と予算の話 - 人間のあるべき姿の探索

十七日目:人形の視界の為の映像リアルタイム転送 - 人間のあるべき姿の探索

十八日目:首機構ができるまでの話 - 人間のあるべき姿の探索

十九日目:ロボットの部品を3Dプリントする - 人間のあるべき姿の探索

二十日目:人形を作る為のプロジェクト管理 - 人間のあるべき姿の探索

二十一日目:機構設計のサイズ感の話 - 人間のあるべき姿の探索

二十二日目:人形の眼球にカメラを仕込む - 人間のあるべき姿の探索

二十三日目:人形に5自由度の機構を仕込もうとしていた時の話 - 人間のあるべき姿の探索

二十四日目:人形なる為の軌跡 - 人間のあるべき姿の探索

二十五日目:人形になった - 人間のあるべき姿の探索

 

人形になった

人形になるぞ!

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人形になった

youtu.be

 何とかここまでたどり着きました。製作の過程や手法については他の記事に記載しているので、是非ご覧ください。

 そして、デモ動画を公開するに至ったのですが、来年は展示を考えています。それにあたって、いくつか課題が残っているため、来年の前半はその課題の解消をし、来年中頃か後半にどこかでひっそりとこの子を公開し、皆さん自身が人形になる、他者になることで自分を乗り越えられたらと思います。

今後の作業

 今後の作業をまとめていきます。実はまだ製作過程であり、下地塗装をして表面を補強した後に、実際に胴体の色を付けていきます。そして、頭部を開けた状態のままですが、これを閉じるかどうか悩んでおり、閉じる場合についてはウィッグを被せてあげたいと思っています。しかし、頭が一般的な人間よりも少し大きく、実際に自分が使用していたウィッグが入りきらないサイズであったので、その対応を考える必要があります。坊主のままでも美しいとは思うので、悩み中です。

 デモは撮影できたのですが、展示に向けていくつか課題があります。まず、トルクの問題で頭部が一定以上の角度になると動いてくれなくなります。これについてはよりトルクの強いサーボモータの採用を検討しており、実際に購入して試していたものもあるのですが、可動域が既存のものと異なるなど制御の方で少し工夫が必要になりそうだったため、後回しにしていました。

 そして、制御用PCからサーボモータへの命令の転送が本来5fpsまたは10fpsで送られる想定が詰まってしまいガクついた動きになる問題があります。HMDと制御用PCの通信の問題を考えたのですが、制御用PC内部で姿勢の値を生成した場合にも発生するため、既存のハード構成及びプログラムに問題がありそうです。この辺りはハードウェアを含めたデバッグを行う必要があり、少し時間がかかりそうです。

 加えて、映像周りの問題があります。今現在480x480pxの映像を10fpsほどでUDPを用いてHMDに転送しているのですが、画質が低く、視界を再現するには難があるものになっています。完全に視界を再現するような解像度ではないので意外と酔わないのが救いです。因みにHMD側でスクリーンレコーディングを走らせていたらUnityアプリケーションと合わせてパフォーマンスが極端に悪くなり一度プログラムが落ちてしまったので、結構負荷をかけてしまっているようです。

 カメラについては眼球に埋め込む仕組みを確立したのですが、そのカメラというのが意外と高価かつAmazon評価2.5程度の代物ばかりで長時間起動が難しそうな気がしているので、もっと安定したWebカメラを頭部に固定することを検討しています。AliExpressで同じものを売っていたので、そういった代物です。眼球に埋め込むのとでは物体の距離が近い場合に視線がずれてしまうのが難しいですが、代替案としてはありかなと思っています。それか、大量にカメラを買い込んで破産するのもアリですね。

 だいぶ頭が痛くなってきますが、見たい!と言ってくださる方もいるので、やっていきましょう。できるかどうかわからないことでも、試行錯誤して、着実に前に進んでいくしかないですね。

展示の話

 ノープランです。会場でデモ動画を映しておくことはできるのですが、動かすとなるとどうしても僕が在廊している必要があり、自動で動かすならともかくHMDを被って体験するとなるとソフトウェアのセッティングも結構時間がかかるので、どこかの土日に有給休暇を加えて3日か、それに搬入/搬出もやっていく形で場所を探すことになるかと思います。都内に運べるのだろうか…と心配になってきました。

 そして、サーボモータの話もありましたが、壊れたら一巻の終わりです。ハードウェアに関しても安いものや3Dプリント品については予備の部品を調達しておけるのですが、制御用PC自体は替えが効きませんし、ソフトウェアのバグはその場で解消することができません。ネットワークも長時間起動で詰まる懸念があり、環境に対応する必要があったり、難しそうです。展示のサブタイトルに「壊れたら終わり!」と書いて壊れたらデモ動画と壊れた人形を展示する形になりそうなので、尚更ギャラリー探しが難しく、いっそレンタルスペースを借りて設営してしまうかという算段も脳裏をよぎるくらいなので、どうなるかはお楽しみです。考える側はつらく厳しい気持ちです。

 そんな感じでも面白がって置かせていただける方がいればぜひ相談させてください。

終わりに

 なんだかんだで本日分の記事でアドベントカレンダーを25日分書ききりました。アドベントカレンダーとしての感想とかアドベントカレンダー記事のリンク先一覧は後程まとめていきますが、ひとまず走り切れてよかったです。途中インフルエンザにかかって4日分の原稿のストックをすべて消費したり、途中で下地塗装をMVPから外してデモ動画では塗装前の状態で撮影をしたり、この一年間どころか一か月の中でもかなり想定外の事態が起こりました。そういった中で進められたのは、僕が尊敬する愚地独歩氏の「俺の空手は後退のネジを外してるんだよ、、」という台詞です。背水の陣を敷き、前に進むしかない状況で如何に藻掻くかが大事なのだと思います。

 一旦MVPの要素を作り切り、アドベントカレンダー最終日のデモ動画撮影というチェックポイントが終わったことに安心しきっており…ということはなく、展示に向けてまだまだやることがあり、といった感じで来年もゆっくりできなさそうですが、これができると面白そうなのでやっていきます。本当は人体を理解して造形を深めたい気持ちや、もっと気軽に人形を作りたい気持ちもあるので、それはそれで並行してやっていこうと思います。一人をずっと作っていると疲れちゃうんですよね、人形制作の気分転換に人形制作をやっていきましょう。

 最後に、改めてお疲れさまでした。



人形なる為の軌跡

人形になるぞ!

godiva-frappuccino.hatenablog.com

 ということで約一年間、ひたすら作業をしていました。今年の一月頃から技術的な検証を本格的に始め、3Dモデルを用意し、内部に仕込む機構をモデリングする術を身に着け、粘土を触り、コードを書き、と色々やってきました。夏頃に一度大きな方針転換をしてその時ほぼ完成していた人形を諦め、仕切り直しとして一から設計をし直しました。当時は気が狂うかと思いましたが正気のまま立っているので俺の勝ちです。そして、冬になり、完成に向けて進捗は積み重ねていたものの、まだ検証項目が残っており、いつ完成するのか心配でした。そこで、11月の中頃に、アドベントカレンダー企画を思いつきました。今自分がやっていることを分解して、自分の作っているものは何であるか、どういった意味があるか、ソフトウェアやハードウェア、そしてもちろん人形の面から考察することにしました。そして、12月25日をもって完成とすることで締め切りを設けようということにしました。

 結論から言うと、下地材の塗装及び本塗装としての色塗り、そしてウィッグの調達が間に合いそうにないのですが、プロジェクトスコープの調整として一旦年末年始の休暇にタスクをずらし、MVPとして人形になる為の器の肉体及び機構、ソフトウェアができていることを目標に据え直し、作業をしていました。アドベントカレンダーが一人で埋まると面白いですね。僕はしんどいです。

 せっかくなので、振り返っていきます。

 と言ってもまずは昔に遡ります。2018年、当時大学の学部三年生のころにArduinoなどの電子工作系の諸々を授業で触る機会があったり、ロボット実験としてロボットを半年で作るイベントがありました。当時はほとんど貢献できておらず今でも申し訳ないのですが、そういった中でロボットに興味を持つと同時に、人形への興味がありました。その後、しばらく京都に移住していたのですが、その前後で頭部を動かす仕組みのようなものは検討していました。眼球をモータで動かしたり、頭部を紙粘土で作ろうとしたり、とやっていました。大学の3Dプリンタを使用して眼球を動かすモデルを印刷しようとして設定ミスで失敗したり、といったこともありました。方法論が分からずもがいていましたが、こういった下地があったことは明記しておきます。

 藤堂さんのSEERにも影響を受けていました。同じことをしたいわけではありませんでしたが、人に合わせて動いてくれるリアルな造形には惹かれるものがありました。

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 一番古いやつ。

 2020年11月から人形教室に通って一人作ったのち、魍魎の匣の加菜子に憧れて、再度人形にモータを仕込み始めます。当時はモデリング術などはなかったので、粘土造形した後にサーボブラケットを無理やり差し込むという形式をとっており、精度や安定性に欠けるものでした。そのタイミングで、やっぱり機構はきちんと3Dモデルなどを用いて作らないといけないと感じましたし、自分で機構の形を変えたいときは尚更必要だと感じました。

 機構を3Dプリントする…という試みについては、2022年7月頃から始めました。というのも、二年ほど前に一度安価なプリンタを中古で購入していたのですがあまり様子が芳しくなく、このタイミングで再度良いスペックのものを購入して手軽に試せるようになったことが大きいです。途中で諦めましたが、3DモデルをUnity上に配置してモータへの命令をArduinoとUnityアプリケーションの双方に送ってデバッグを行う試みもしようとしていました。この辺りの実装方法はいつか覚えますが、しばらく先になりそうですね…

 時が経ち、人形になる…という最初の話に戻ります。2022年夏ごろ、映像のリアルタイム転送に興味があったので、AzureというクラウドサービスによるWebRTCのAzure Communication ServicesでZoom会議の様な形式で映像をAndroidに転送しつつ、Android端末の加速度センサをロボットに送れるのではないか?と気づき、試していました。結論できたのですがHMDとして扱うにはAndroid端末は取り回しが悪いことなどに気づき、一旦取りやめとなりました。

 そして本題、2022年末に、人形になるぞ!と思い、ヘッドマウントディスプレイを開発用に購入しました。実際には年末に動作確認をしてほぼ1月1日くらいから開発を始めたのですが、1月はそういった技術的な検証をやっていました。ここでUDPで映像転送をしたり、基本的なVRアプリケーションのSDKの扱いを覚えました。もう数か月埼になりますが、映像転送及びロボットへの姿勢転送をヘッドマウントディスプレイで行うアプリケーション自体は一通りできていました。本業がこっちで良かったと思いつつ、UnityでVRアプリケーションを作るのは簡易的なアプリケーションでも大変だと実感しました。

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 2月から機構及び造形のことを考えていました。当時は3Dモデリングをしてある程度精密な寸法をとらないとサーボモータを仕込めないことには気づいていたのですが、モデリング力の欠如から既存のモデルを購入して使用する選択肢をとりました。ただ、それでも実際にうまく動作する為に…というので印刷方法含めて悩みました。機構や内臓の納め方もだいぶ苦労し、3か月くらいかかってファーストモデルを印刷して、そこから5月、6月くらいまでひたすら印刷しなおして動かしての試行錯誤になります。内臓、PCや制御用のマイコンの選定からだったのでかなり苦労しました。

 4,5月頃に最終的に収まる形を見つけたものの、ただ上からかぶせるだけだと機構がずれてしまうとか、諸々考慮する必要がありましたし、胴体の印刷方法はかなり悩み、結局分割して印刷した後に接着剤で貼り付けました。最初は全部印刷するのは難しいと思い、張り子の様に骨組みだけ印刷する試みを3月頃にしていたのですが、これはこれでうまく骨組みを組み合わせることができず、数cm単位でのずれが生じてしまったため諦めました。分割してパーツを印刷する術はこの時に身に着けました。

 そして、5,6月は内部の機構を作りこみながら粘土を巻いてました。一応基本的な形は印刷するものの、表面は塗装する関係や微調整の為に粘土を使用する予定でした。7月に色々あってうまくいかないことに気づいて挫折して、仕切り直しを…といった流れになるのですが、一通りの形ができていました。概念実証を常にやっていたので、できるかできないか分からないストレスが常に、というかここ最近までありました。よく見るとゆがみが生じる形になっている機構とかも懐かしいです。

 7月10日頃に仕切り直しをして、まずはタスク一覧を洗い出しました。プロジェクト管理というのはやった方が良いです。造形の仕方もあくまで粘土造形をメインにして3Dプリンタは粘土を貼る型にのみ使用する、といった方針で7,8月辺りは進めていきました。しばらくは型取りの為の試行錯誤をしていました。PoCも慣れてきました。

 3Dプリント品を型として使うにあたり、薄いフィラメントに粘土を巻いて歪み具合を見たり、と言ったところから始まりました。当然、等身大のトルソーだと分割印刷の技術も必要になってきます。

 9,10月は頭部と胴体のモデリングをして、そこに機構を埋め込んだり粘土部分と機構のインターフェースを考えていました。ちゃんとした人体の3Dモデリングは初めてだったので、気合を入れて何とかしました。結局気合ですね。インターフェースになる金属部品の調達はホームセンターに行ってひたすら金具をグッと睨む日々があったり、実現可能な方法が幾らかあるお陰で自分が取れるベストな方法を見出すのに時間をかなり使いました。最終的に没になったものもありますが、金具を埋め込むために固定用器具を用いて粘土の中に金属部品をある程度正確に埋め込むワザとかも編み出しました。これについては最終的に手で微調整して固定したんですが…

 そして、等身大レベルの造形をやるのも初めてだったので、粘土の収縮具合に苦労させられたりしながら、胴体を作っていきました。同時にインターフェースとなる金具を仕込んだり、機構の改良を図っていました。

 10月の中頃から、造形作業に入ります。見ての通りローポリゴンモデルで胸も盛っていないので、骨や筋肉、脂肪を盛っていく作業はすべて粘土で造形力に任せてやることに決めていました、造形は一番苦手な作業の一つですが…もちろん頭部の造形もやりつつ、だんだんと肉体の形が見えてきます。等身大のトルソーを作る中で、やっと肉のつき方とか意識し始めました。次作る子はもっと解剖学的に正しくやっていきたいですね。

 12月になり、アドベントカレンダーを書き始めました。実は、インフルエンザとその後の喉の不調で2週間近く作業ができず、そういった経緯もあり造形は何とか進めつつも塗装周りをMVPから外す決断をしました。そういった中で、残りのPoCが必要であった眼球周りの構造決定や眼球の作成、映像転送方式の決定といった残りの部分をやっていました。顔面、特に瞼の辺りが個人的には気に入った形になってきました。こういうのは引きで撮った方が遠近法の関係でシュッとした顔立ちにというか肉眼で見たものに近い形で見えますね。造形もけりをつけ、一旦納得のいく形までもっていきました。後はデモ動画を撮影できればアドベントカレンダーの目標は達成し、年末年始に色付けやウィッグ探しをして人形全体としても完成となります。

 完成まで頑張っていきましょう。


 



 

人形に5自由度の機構を仕込もうとしていた時の話

人形になるぞ!

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 ということで人形に機構を仕込み動かす試みを約一年間行ってきましたが、半年ほどたった七月にすべてをやり直しています。

 最終的な形としては首だけ動かす形で、そして3Dプリンタによる印刷物を造形用の型にしていたのですが、最初は上半身を動かしつつ表面のテクスチャ以外を3Dプリントする方針で進めていました。

 初期目標は結構高く、人形が完全に自律しているように見せるために、制御用のPCからバッテリーまで胴体に内蔵する想定でした。バッテリーは腹部~下腹部に、制御用PCは心臓部にといった感じで少し拘っていました。しかし、課題が二つありました。

 一つ目が、サーボモータの安定性の問題でした。例えば胸から上を10°、頭部を15°前方に傾けると、全体としては頭部が25°前方に傾く形になります。頭部を支えるためのモータは首から張り出す形になる為、ここにかかる負荷が大きく、トルクが不十分かつ頭部が揺れてしまいます。この問題が中々解決できず、制御するのが大変だったため、改良の必要性を、もしくは目標の下方修正を迫られました。

 二つ目がPLAフィラメントの耐熱性でした。3Dプリントした胴体及び機構の表面に粘土を巻いていたのですが、フィラメントは約200℃に熱したノズルから溶けた状態で出てきて冷めると固くなるものです。粘土を乾かすときは電気コンロで300Wほどでねっするのですが、これがフィラメントが溶ける温度を越えて、歪んでしまうことが問題になりました。具体的には、素体となるフィラメントと粘土造形の間にゆがみで隙間ができてしまい、特に瞼の様な粘土を薄く貼るところは強度が保てなかったり、ミリ単位での調整が必要な機構との接合部が歪んでしまう問題がありました。

 それらを修正する方向で何とか進めていたのですが、今後のことも考えるとあまり筋が良くないと考え、造形が一通り完了した7月のタイミングで仕切り直しすることにしました。丁度半年かけて、二体作っていたことになりますね。下図はそれぞれ胸部の機構、上半身、そして腹部の機構です。腹部の機構は数kgある胴体を支えなければいけないので、サーボモータのトルクは足りていても作りの問題から機構が折れてしまうことも多々あり、解決するためにはもう少し深い検討が必要そうでした。

 頭部もそれなりにきちんと作っていて、基本的な形自体はこの時点でできていました。ただ、リンク機構の可動部へのユニバーサルジョイントの採用等、再検討した部分も多くあります。裏側を見ると分かるように、中身はオレンジのフィラメントでできた胴体に粘土を巻いていますね。

 印刷直後の様子です。一度に印刷できるサイズではないので、分割して少しずつ足していました。ちなみに当時は3Dモデルを再利用可能なモデルを購入して使用していたのですが、そういったモデルは既に厚みが決められていたり取り回しがあまりよろしくなかったので、頭部及び胴体のモデリングを一からやる決心をしたのもこの頃です。

 そんなこんなで、こういった挫折を半年前にやって、今に至ります。

人形の眼球にカメラを仕込む

人形になるぞ!

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 人形に機構を仕込んで動かすと同時に、その動いた感覚のフィードバックとして、人間が頭にディスプレイを被ってカメラ映像を転送して映す試みをしています。

 とはいえ、眼球にカメラを仕込むのはかなり困難です。実は眼球のサイズは成人でも24mm~28mmほどです。そもそも絵を描いていると眼球が真球ではなく楕円状に感じてしまうこともあると思いますが、虹彩が膨らんでいる以外は基本的にきちんとゆがみのない球体の形をしていて、瞼に隠れている以外は意外と見たまんまのサイズ感で眼球があります。目頭と目じりの長さ分くらいが直径なんですよね。

 今回は眼球を設計するにあたり、40mmの眼球を作成しました。これについては、作りたい顔との兼ね合いもあり、リアルな顔というよりはデフォルメを効かせたまなざしを強く感じられる雰囲気を作りたかったからです。特に、目頭と目じりの距離をとる場合は伏し目がちであっても眼球の直径は大きくなります。この場合大部分が瞼裏に隠れることになります。

 40mmの眼球を用意したところで、次はカメラです。USB接続のWebカメラを探したのですが、会議用のWebカメラを探してみると、安価なものはあるのですが、レンズ周辺が平らになっており、眼球にはめ込むことができません。眼球の露出部は最低限半球状になる為、レンズ部分が飛び出したものを探す必要があります。

 Amazonで評価平均2.3辺りをさまようと見つかりました。両方とも購入したのですが、超小型のものは逆に虹彩周辺にレンズを固定するのが難しく、眼球サイズに近いものを採用しました。

 とりあえず、ローポリゴンでカメラをモデリングして、半球にはめ込む想定をしていきます。そして、それを固定する部品を考えます。とりあえず半球に近い形の眼球は簡単に用意して、そこにはめ込みます。そして、眼窩パーツを作って、隙間にこれらを挟むような仕組みにします。モデルはできたので印刷していきます。

 できました。とりあえず眼球が入りましたね。ちなみに、一般的に販売されているドールアイは60cmドール用か大きくても80cmドール用が一般的で、大きくても16~20mm程です。小さい子に関しては30cmドールに6,8mm程度のアイをいれることもあるのですが、40mmのアイは見つけようがありませんでした。その為、眼球はレジンを使用して虹彩を作り、カメラがない側が自然になるようにしています。眼球を量産できるようになったので、カメラを眼球に仕込めなくなった場合も両方とも自作のアイを仕込むことができるようになりました。